ふり仰ぐ時計の塔に
2018-01-29
どうしても学びたい場所・学びたいこと
青春のさまざまな思い出
人生を切り拓く場所と時間
昨今は予備校も様変わりして、芸能人まがいの活動への踏み台にする講師などの存在がやたらと胡散臭く見える。元来、「予備校」という名称からして「大学で学ぶ礎を築く学校」であるのが本道であろう。だが単に技術的に「入試に合格する」一時的な「学力まがい」の、まさに「バラエティー番組的」ともいえる小手先さを身に付ける場になっているように思えるのは、社会の思考の表れであろうか。僕が高校3年生の春季講習に始まり講習会を通じて1年間お世話になった英語の先生は、常に「学問への視野を拓く」内容を予備校の講習で伝えてくれていた。そのことが現在も僕が研究をしている契機となっているのは間違いない。
そしてまた、その英語の先生の母校へ自分も進みたいという意志を固くしたことも大きかった。当初は首都圏国立大学の教員養成学部に進もうと思っていたが、どうしも「広く文学を学んだ教師」を目指したいという意志も起動して、文学部専願で大学入試に挑んだ。ほぼいわゆる「滑り止め」もなき退路を絶った挑戦であった。その結果は、昨日の小欄に記した通りである。そして今にして、この母校の恩恵を人生の年輪とともに深く感じている自分がいる。宮崎に赴任して貴重な邂逅があって短歌の道を歩み始めたのも、やはり母校の素晴らしい先輩方によるものである。だが決して「母校」の卒業生だから優れているわけではない、卒業後も「自分の道を頑なに前向きに進んだ者」が多いからこそ、多方面で母校の卒業生は活躍しているのである。あらためてその奥深さの中で、自分もさらにさらに前向きに生きねばならないことを常に省みるわけである。
喩えがたき愛校心
進取の精神
学の独立
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