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らっきょうの皮剥きふたたび

2018-01-23
社会的な自己・家族としての自己
あらゆる皮を剥き切ったらどんな自己があるか?
素の自我とは何であろうか?

東京では「大雪」が警戒されてTV番組などでも、「降り出した」「積もった」と芸能レポーター的な言説によって、この自然天象の止め難い事実に翻弄されることに酔うような映像が喧しく伝えられている。東京在住時の僕自身は、こうした「平和ボケ」のような喧伝を嫌悪しながら「自然への向き合い方」を考えていたなどと回想する機会にもなった。宮崎に住むようになって5年間で、雪を踏みしめる「自己」はもういないからでもある。教材研究を進めるための「文学理論」を講ずる時間に、「らっきょうの皮剥き」の話をする。社会的に様々な「自己」があって、その「皮」を1枚1枚と剥いでいくと何が残るのか?残った最終形が「素の自己」なのか?漱石などの小説に盛んに描かれる「近代的自我」の問題は、文学のための文学なのではなく、今もなお僕たちの中で燻り続けているようだ。

「素でありたい」とは思いながら、それがなかなか難しいのを悟ることがある。たぶん間違いなく、「素」の自己が自分でも好きだ。と記せばまた「自己」と「自分」との断層が垣間見えてしまうようで、どこが「素」なのかがわからなくなってしまう。「らっきょう」の場合は、剥き切ったらそれは空洞であって、その「皮」そのものに「本質」が貼りめぐらされているわけである。実は人間も「表皮」の複合体なのであり、「本質」などという語彙ほど嘘くさいものはないのかもしれない。ただ確実に「自分」でも好きな「自己」があるのは、機会によって確かめられることがある。何も構えずにただの人でありたい、そしてそれを表出できる相手というのは限られる。それだけに人として生きるのも面白いのだろう。

この記事の「本質」は何か?
自問自答の大切さ
また新しい明日が始まる・・・


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突然の訪問、失礼いたします。
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[2018/01/23 06:47] | さくら #- | [edit]












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