歌生まれ来るみなもとの海
2018-01-12
音楽関係の逸材が生まれる街海はあらゆるものの根源たるところ
波音そして波動こそが韻律を生み出す
子どもの頃から、無条件に海が好きである。だからといって生育環境に海があったわけではない。かなり幼い頃に遠方で父の仕事があり、一緒に車の助手席に乗ってついて行くことになった。父は仕事を一通り終えると、僕を海岸に連れていって波打ち際で遊ばせてくれた。興味本位に寄せては返す波に足だけ浸かって下を向いて波動を見ていると、いつの間にか目が回るような感覚になってその場で転んでしまった。確か季節は晩秋あたりであろうか、父は止むを得ずその海岸に近い洋品屋にずぶ濡れの僕を連れて行き、洋服一式を買ってくれたという思い出がある。何歳ぐらいの記憶か定かではないがかなり初期記憶の一つであり、僕自身が海に引き込まれるように一体化した貴重な記憶だと今にして思う。
仕事の隙間時間を利用して、どうしても観たい映画をみた。(宮崎での上映はこの1週間限定。)半ばドキュメンタリーに加えて事実に基づいた物語を挿入したその映画は、ある土地が優秀な音楽家たちを生み出す不思議に様々な角度から迫るもので、実に興味深かった。人類学者の中沢新一さんも登場して、その土地を人類学・民俗学・宗教学的な観点から解説も加え、海洋に囲まれた日本列島の地理が生み出す文化的営為について、納得する見解を披露していた。あらゆるものは、波動によって形作られる。祭事の神輿における担ぎ手の掛け声や細かな動きは、性的なものの象徴であり生命の根源である。その混沌たる海から生まれる要素を、桑田佳祐さんの音楽はすべて持っている。桑田さんは「海の神」であるとも。そして海から「音楽」が生まれるとすれば、「歌」もまた海に関係するはずで(というのは僕自身の推測の域だが)、牧水が「海」を求めて歌に多く詠んだのも、生育した東郷村坪谷に海はないがその上流たる清流と川音があったことと無関係ではあるまい。
そしていま僕が海の近くに住んでいる理由
あの幼児体験は何らかの啓示ではないかと
湘南海岸と青島海岸は「対」となる海であるとなぜか僕には思えるのである。
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