熱き濃きより温み淡きに
2018-01-09
醤油の味付けの如何・・・そして温泉の加減やいかに?
ぬるみあわきにこの地の筋あり
両親が滞在して1週間が経った。長年にわたって東京生活をして来た両親の生活習慣と、5年間みやざきで生活をして来た自己のそれとを比較して、様々なことに気付けるのがとても面白い。例えば雑煮を母が作ったとしよう。その味付けが「かなり薄いでしょ」と問われるのだが、僕にとってはちょうどよいか、むしろ濃いほどに感じることがあった、もちろん年齢とともに減塩への意識も高めているゆえもあるが、関東と西日本の味付けは基本的に大きく異なる。特に母は雪国・新潟の出身であるから、寒さを凌ぐため余計に濃い味が基準となっている。よく生活習慣病の県別罹患数などが取り沙汰されるが、やはり東北・北陸の塩分過多は相対的な傾向として根強い。沖縄県を筆頭に南国で長寿な方が多いのも、やはりこうした味付けと気候の相乗関係から生じたものであろう。この日もみやざきは18度ぐらいまで気温が上がり、実に過ごしやすかった。血管の収縮を考えれば、負担が少ないはずである。
夕食後に両親にも勧めて、いつもの公共温泉へと連れ立って出かけた。昨年を考えるとこの温泉無くして自分の心身は正常を保てないほど、不可欠な湯治的な場になっている。その湯船の構成であるが、大きな浴槽はこの時季であれば42度ほどの湯温、そして奥に小さな浴槽があり、そこは源泉温度のままに32度ほどの湯が張ってある。僕の感覚としてはこの小さく”ぬるき”浴槽にこそ、この温泉の価値があるように常々思っている。確かに42度という「熱さ」に入るのは、刺激的で十分に温まる感じがする。だが身体の芯から十分に温めるには、32度の”温み(ぬるみ)”が実に適しているのだと痛感する。体温よりも少々低い温度で15分以上の温浴、馴染みになった地元の方々とは、この湯船でいつも談笑している。この日は父がこの湯船に浸かったが、「これはぬるすぎる」と早々に退散したということがあった。それを観ていて2つの要素を感じ取った。一つは15分間湯船に浸かるという時間感覚がないこと、東京生活の時間は数分単位で切り刻まれているのだ。もう一つは刺激の受け方、醤油味付けと比例するかのように「熱き濃き」が父の基準になっているようだ。それはむしろ僕自身が、この地の温度や味付けに馴染んだ証拠であるとも考えられた。
「温み淡き」をよしとする
これぞ角のない「まろび」の感覚
化学的に刺激的な味、人造的な湯温に慣れるのは都会の悪しき生活習慣なのかもしれない。
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