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知らねども心に響くメッセージ

2018-01-04
気持ちの繋がりとは何か?
心に響くメッセージとは
「言葉」だけが頼りという場合もある

1日を生きていると、様々な「言葉」に必然的に出会う。同じ空間にいる親族はもちろん、正月ゆえに年賀状のコメント、そしてこうしたWeb上の「言葉」を選択すれば、いくらでも接することは可能だ。年が明けて父母が自宅にやって来て、そしてあらためて「言葉」の大切さを悟るとともに、Web上の何処でどのような「言葉」に接するかの精査も重要なのではないかなどと考えている。「言葉」は単なる伝達目的のメッセージにあらず、その個人の思考を構成するものであり、特に文学とりわけ短歌に携わっている身として、そのことは切実な問題である。こうして小欄に書き記す「言葉」の「意味」においても、今ここに何の必然性があってこうしてキーボードを打っているかなどと、その根本を考えるのも新年であるからだろうか。

Web上で素敵な「言葉」に出逢った。真摯に直面する問題に向き合い、誠実に忌憚なくその「言葉」は表現されていた。優れたメッセージとは何か?と考えた時、その表現された奥底にあるこころに呼応するように、返信しないわけにはいかない衝動に駆られるような性質が備わっているものではないかと考えた。これがまさに「こころの響き合い」であり、一方的にならない「対話性」を生み出すものなのだろう。「こころ」とは我が儘なもので、ときに挑発的で思わせぶりな要素を自虐的に求めていたり、かと思うと謙虚かつ冷徹なものを求めていたりもする。そして親愛なるこころがあればあるほど、むしろ潔く相互に突き放さなければならない事態にも直面する。Web上では必然的に「顔」は見えない。繰り返すが、それゆえに「言葉」だけが頼りなのだ。ときにリアルに対面していても「言葉」が響き合わない場面に遭遇すると、この上なく悲しい気持ちになる。こう考えると「こころが響き合う」などというのは、そう簡単なことではないことにも気づく。

旅先で出逢う筆舌に尽くしがたい光景にも
旅人はただの通りすがりでしかあり得ないものか
あらためて「こころに響く」ことを再考する三が日であった。


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