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批評し主張するちから

2017-12-13
「事物の善悪・是非・美醜などを評価し論じること。
 長所・短所などを指摘して価値を決めること。」
(『日本国語大辞典第二版』見出し「批評」より)

卒論作成もいよいよ最終段階の時季となった。大学学部の提出締切は1月末日と決められているが、ゼミでは新年成人式連休明けに「仮提出」をするという慣例で、ここ数年間の指導をしてきている。最終提出後の「口述試問」において、基本的な次元で改めて欲しいことや十分な批評性がなく「論文」として問題がある場合などがあっては修正ができないために、敢えて正式な提出期限に3週間ほどの余裕を残し、先に僕の方で査読する方式を採用している訳である。主張やそれを表現する「論文」においては、やはり誰が読んでも理解のできる「普遍性」も必要になろう。ゼミ内で内輪の議論をしていると、個々の研究内容は概ね検討はつくので、ついつい馴れ合いから文章表現を「内向き」に叙述しがちである。「普遍性」の原点はせめて、これから同学部にやってくる顔も知らない多くの後輩たちにも役立つよう、何らかの主張を客観的に伝えようとする意識が求められる。

1・2年生の学生たちを見ていると、まだ高校までの丸暗記的学習習慣が抜けないと痛感することがある。先日も講義でスクリーンに映し出した「要点」を漏れなくノートに丸写しすることに”だけ”頭が向いている光景を目の当たりにした。その「要点」は講義までに読んでくるべき課題図書に詳述してある内容と違いなく、その理論を腑に落ちる段階まで引き上げる「思考の昇華」を講義内で課題を与えてまさに「思考」すべく頭を使うべきなのだ。映し出された「要点」について、まさに批評的にその価値づけをするように講義は仕組んである。何の疑いもなくただ与えられたものを内容も精査せずに写し取るいう「作業的歯車的思考」では、これからの時代は通用しない。何より「自分の頭で考える」(判断し価値づけする)ことが求められるということだろう。その点、昨晩も行われた宮崎大学短歌会の活発な議論は実にこのような頭の使い方が身につく機会である。その根本と延長上に短歌の「対話性」があるのと同時に、「牧水短歌甲子園」で展開する「批評性」が大きく作用しているように思われる。

「主張」をするための「判断と価値づけ」
疑問点を質問しないというのは相手方に失礼な行為である。
「批評性」を遠ざけようとする世相に抗う気概を学びてこそ生きる力となる。


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