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教育も商売も思いやりから

2017-12-04
〈教室〉で大切にしたい一人への声かけ
〈お店〉でも「いかがでしょうか」の気持ち
小さなひと言が人をつなぐ

中高教員時代から心掛けていることは、〈教室〉での個々の生徒への声かけである。全体へ投げかける言葉はあくまで「全体へ」であるが、個々への思いやりを持った言葉こそが大切だと、教歴を重ねるごとに痛感した。ちょっとした部活動の話題とか、日常の趣味であるとか、むしろ〈教室〉外での話題を子どもたちは喜ぶものである。「声かけ」は何も「知っている」ことを語るとも限らない。むしろ質問として「どうだった?」と問いかけることから始まるものであろう。さすれば次第に、生徒からも「先生!どうでした?」という問いかけが投げられるようになってくる。「問いかけ」のない子どもは「なぜ?」の疑問を持たないので、自らの考え方も深まらない。まずは自他に対して「どうでした?」と問いかけることから、明日が見えてくるものである。

僕自身が商家に育ったせいか、商売的な対応のあり方がとても気になることが多い。例えば、電話が鳴ったら「なるべく早く取る」のが、相手への「思いやり」であろう。小学生頃から自宅に掛かる電話は、ほとんどが商売に関するものであったので、親が不在の場合は自ら受話器を取ることも多かったせいか、その対応に際し様々に鍛えられたように思う。もちろん高校・大学生になれば、やはり親が留守中の「店頭販売」を行なった経験もある。お金をいただくことのありがたさ、そしてこの商品を買って行ってこのお客さんの生活が少しでも”温かい”ものになればという「思いやり」の気持ちが芽生えたように回想できる。新任教員だった頃に、”意外と”僕自身は「商売人」向きだと思ったこともある。それは常に相手の立場を考えようとするので、”頭ごなしに叱る”ことができなかったのである。だが次第にそれが僕自身のスタイルなのだと思えるようになり、まずは「どうだった?」「どうしてこんなことを?」と”頭ごなし”をすることはなかった。やがて国語教育を歪めているのは、一方的な「押し付け」であることが研究上も見えて来た。そう!まさに教育も商売も「思いやり」からなのである。ようやく「教育現場」の考え方が、昨今になって”ここ”に到達したようにも思われる。

もちろん「客」としても「美味しいですね」の一言を
どうやら最近は公共温泉でも常連さんとの会話が弾む
「社会的に通用する教師たれ」親の願いが少しは叶っているであろうこだわりである。


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