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「読み聞かせ」でよいのでしょうか?

2017-11-29
絵本を介して読み手と聞き手
双方向性な応対によって作品世界が拡がってくる
そんな新しい用語の提案をみやざきから!!!

先日ある絵本を翻訳した作家の方とメッセージ交換していて、「(聞き手である)子どもたちがいてこその絵本である」という趣旨のやり取りをした。そうなると現在世間に通行している「読み聞かせ」という語は適切ではなく、何らかの代替語を考案せねばならないということになった。「読書県日本一」を目指している宮崎としては、ぜひ何らかの提案を県全体で考えたいと思うところである。十分な代替案がないままに、仕方なく旧態依然の概念で使用され続けている用語は少なくない。作家さんとのやり取りの中では「主人」「旦那」などもそうで、本来は家庭の中で平等であるはずの夫婦関係において「男性優位」を未だに助長している「悪役」であろう。もちろん学校では「父兄」などという語は現在使用してはならず、謙遜を旨とするのであろうが、「愚妻」「愚息」「愚妹」などはもっての他という気がする。言葉は無意識に使用されると、行動を規制する怖さがあるからだ。

現在僕は暫定的に「読み語り」という語を使用するようにしているのだが、講演や講義においても話す内容の理解のためには、ついつい嫌々ながら「読み聞かせ」を使用してしまう現状だ。この件をやり取りした作家さんのような存在が、メディアを通じて大々的に代替語を喧伝する機会が望まれる。ちょうどこの日もゼミで「絵本の対話性」に関する卒論中間発表があって、「絵本と聞き手」の対話性を考える趣旨が提案されたが、ゼミ内で議論を進めるうちに、「絵本を介して聞き手と読み手の三者の対話」から生じる作用を検討すべきだと軌道修正された。具体的に少々述べるならば、「読み手」が絵本を声で読んでいると、「聞き手」である子どもたちが絵本の言葉に対して「合いの手」や「返しの言葉」を投げかけてくる場合がある。「読み手」はその反応に間を置いたり、韻律を合わせたりと対応しながら「読み方」を変化させていく必要がある。いわば「読み手」もその場で「成長」することになり、「聞き手」との間にコミィニケーションが成立するのである。さらにいえば、状況によっては「読み手」と「聞き手」が反転し、「聞き手」自らが声に出して読みたいという願望が生じれば、それが読書推進の芽となるわけである。

「お仕着せがましい」使役の「せ」
「させる」という学校の活動が、子どもたちの主体性を刈り取ってしまう
さて果たして適切な用語は提案できるであろうか?短歌県・読書県みやざきの大きな仕事かも。


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