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短歌と俳句・・・俳句と短歌

2017-11-28
短歌は一首、俳句は一句
それぞれ「歌」「句」と略称する
「言わない文学」の好きなこの文化の中で・・・

俳句は「文化遺産」として登録されることを目指していると云うが、短歌は「遺産」ではなく今も生き続けているので登録など目指さない。こうした趣旨のことを、佐佐木幸綱先生のお言葉として何度か聞いたことがある。確かに「遺産」たるや「遺された産物」ということであるから、そこに登録されるものは「過去のもの」と見なされる必然がある。まあこれもまたそれぞれの考え方であるから、相互に否定する必要もないとは思いながら、歌をやっている身として「今も生きている」という趣旨が、誇らしく思うのも正直な思いだ。学部2年生の複数担当講義の後半が、この日始まった。10月当初にテキストとしているアンソロジー(詞歌集)から、「好きな歌を一首選んでおくように」という課題を出しておいた。この日は受講者の自己紹介を含めて、それを板書して一言キャッチフレーズを添えるという活動を行なってみて、あらためて「短歌」と「俳句」の関係性を考えさせられた。

学生が選んできた詩歌の半数が「俳句」であったのである。記憶するに間違いなく僕は「和歌・短歌を選んでくるように」と2ヶ月近く前の教室で指示した。アンソロジーである文庫が、「教科書掲載の和歌・短歌・俳句」が古典近・現代を問わず載っているので、ある意味でやむを得ないと思いながら、聊か「俳句」優位な風潮を嗅ぎ取ってしまい短歌人として心を揺さぶられた。学生がコメントを始めると、「短歌は一首、俳句は一句」という量詞の使い方も厳密ではなく、何度かその発言を訂正したが、最後には話の勢いで自らも歌に対して「一句」と誤ってしまい、さらに自らを省みる事態になった。そういえば先日もよく行く公共温泉で常連の方々と話していて、「専門は何ですか?」と問われたので「教育学部の国語です」と一般向けに答えた上で、「和歌とか短歌です」と付け加えると、その方々のお一人が「テレビでやっている俳句を先生が直すのはいつも一理あると思っているんですよ」と話題を展開した。やはりバラエティー番組もまた「短歌」ではなく「俳句」なのである。考えるに短歌の添削行為などをしたとしたら、その理解度からして”バラエティー”にならないのではないかと、やや短歌人の矜持として考えた次第であるがいかがであろうか。

その双方を器用にこなす方々もいる
中学校教科書は中2で「短歌」中3で「俳句」
歌ができない時など「俳句を読むとよい」と聞くが、境にこだわるだけ未熟なのかもしれない。


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