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桑田佳祐さん「がらくた」福岡公演

2017-11-26
日本語と英語の巧みな掛詞的韻律
恋・愛・人生を炙り出す絶妙な歌詞
そして読める人には読める痛烈な風刺

朝起きたら何かが違っていた。この日は、抽選で見事に当選した桑田佳祐さん「がらくた」全国アリーナ&5大ドームツアーの福岡公演であった。「何かが」と書いたのは、自分の中に降り積もり溜まっていた何かが一気に吹っ切れたような爽快な行動に変わったいえば、聊かわかってもらえるであろうか。今回は高速バスを利用し早々に福岡まで、開場2時間前までには会場のヤフオクドームに到着し、ライブ用のTシャツと首に巻くツアータオルを購入した。現在のチケット購入制度では転売による競売を防ぐために、入場するまで席はわからない。きっといい席だろうと思いきや、ドーム球場のアリーナ席(通常では野球をする人工芝の上にシートを掛け、パイプ椅子で座席を特設したもの。必然的にステージに一番近い席ということになる)の前から16列目という幸運であった。開演までの待ち時間も、開演後の熱狂の時間も、まさしく「時間を忘れる」ような至福の時間となった。

さて、ライブのセットリストや曲の紹介は、大晦日までツアーが続くので控えることとして、あらためて「表現者・桑田佳祐」の真骨頂に生で触れたような感覚を得た。もちろんCD音源やDVD映像で観てもその素晴らしさは伝わってくるのだが、やはり生ライブでの桑田さんの表現力は計り知れない。アメリカンロック全開でノリノリで行くかと思えば、今年の目玉となった「若い広場」(「朝ドラ・ひよっこ」の主題歌)のような昭和歌謡を匂わせるような曲もあり、その総合力こそが「日本のポップミュージック」の代名詞といってもよいだろう。そこに緩急鋭くバラード系の曲が織り交ぜられ、個人的に好きな曲であるせいもあるが、その度に涙がとめどなく流れてしまった。恋・愛・人生という誰しもが深く考えるべきテーマを、様々な表情で桑田さんの曲は聞かせてくれる。

ドームツアー場合はあまりにも会場が広いために、通常の野球観客席からステージの細かな様子はほとんどわからない。よってステージの背後にある大型ビジョンが拡大映像でその様子を流すのだが、そこに全曲とも「歌詞」が文字スーパーで表示された。日常では歌詞を確認したい時とか、カラオケの際に特に「歌詞」を意識するのだが、こうしてライブで生で唄われる曲の歌詞が確認できることによって、日本語の響きと英語の響きを巧みに重ね合わせた掛詞的歌詞の妙をあらためて楽しめた。英語のようで実は日本語の音として聞くと、奇想天外な意味が勃ち現れる。実は古典和歌にも似たような言語遊戯的な発想が、時代によって展開したが、そんな趣さえ感じさせるのである。つまり曲に乗せた「音」のみでは判らない、蔭題(淫題)が仕込まれており、「文字」によってそれが起ち(勃ち)上がるのである。

最後に、「ひょうきん」で「エロエロ」のイメージのある桑田さんであるが、その歌詞に込められた「風刺」は筋金入りだ。今回のツアーも、「この曲が1曲目か」とやや驚いたのだが、今だからこそ「この曲」なのだと深く納得した。だが「風刺」という性格上、当然のことながら、そう簡単にはその「意味」を読み取ることはできない。前述した歌唱と歌詞表示が同時進行であった効果だろう、今回もいくつもの新たなる歌詞の「読み」を個人的に発見できた。この境地はもはや短歌などの文学作品を読み解くことに等しく、理解するには一定の教養が求められる。古典を含めた様々な文学を、桑田さんが十分に咀嚼している証拠である。それは1曲約18分という、ライブでは決してセットされない「声に出して歌いたい日本文学」を聴けば、それなりの理解は可能だ。与謝野晶子や石川啄木の短歌に桑田さんが曲をつけると、それが不思議と桑田さんが作詞したような曲に聞こえるのである。この日の会場を埋め尽くした観客は3万6000人(外野席はステージ裏で使用できないため)ということらしいが、何人がこうした「風刺」を「読んだ」であろうか。

会場整理係員の女性も涙ぐむ曲のちから
彼女は僕に共感し本来は禁止されているであろうに、客である僕に声を掛けれくれた。
また今回のライブで、僕の人生が変わり始めた。

桑田佳祐と同じ時代に生きていられて本当によかった!!!


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