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小さな学校大きく育つ

2017-11-25
全教職員が全校生徒の顔と名前がわかる
小さな学校にこそ見える教育の原点
時間も感覚もすべて「競争」にある社会の中で・・・

米国によく行っていた頃、ある日本人と出会ってこんなことを話した覚えがある。「日本の教育の一番の問題は何か?」と問われたので、「1学級あたりの児童・生徒数を30名以内にすべきことではないか」と答えた。当時は「新自由主義」に席巻されているご時世ということもあったが、その日本人は「そんなことを教育関係の研究者が考えているから教育が良くならないんだ」と云う趣旨で反論された。いわば「競争」原理に拍車をかけて、教師もできる限りの力を尽くしてこそ「プロ」なのだと言わんばかりの反論であった。金を稼ぐことも、地位を築くことも、財を成すこともすべて「自らの力」で競争に勝ち抜いてこそ、社会の勝利者(勝ち組)であるという発想であるが、いまや社会がこの様な「原理」で動いているわけで、これを予見する様な人物として僕の脳裏に刻まれている。

果たして「学校」は、「競争」のみで成り立つのだろうか?「教育」に「対費用効果」などという経済用語が平然と使われるようになったのも、その頃からだ。児童・生徒は決して生産品・管理品ではない。効率のみであらゆることが論じられ、競争に先んじた者が「優秀」とされる。自ずと元来から「力」のある者が潮流を最初から掴み、「力」なき者は衰退していくしかなくなる。現況の企業への対応や各大学への対応も、すべてはこの「競争」原理によって成り立っている。「対費用効果」の少ない「少人数学級」などもってのほかなのである。こうした原則が、「都会」と「地方」の中にも同じ図式で成り立っている。だからこそ立ち止まって考えてみよう、そんな「競争」ばかりしている「社会」が、生み出している物は何か?平常では理解しがたい「人間性」を逸脱した事件・事故が、最近あとを絶たないではないか。もうそろそろ、僕たちは気づいた方がよいだろう。

小さな学校で大きく育つ子どもたち
そして個々を大切にする先生方に教わること
宮崎には、せめてそんな「学校」を増やしたいものである。


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