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「くに」風土・文化を考えて

2017-11-24
鹿児島から都城経由で宮崎へ帰る
晴天のもとあれこれと考える
「くに」という語の使用もすっかり変化して

「くにはどこですか?」という問い掛けや「おくに自慢」という際の「くに」という語彙を使用しづらくなった、あるいは意味が通らなくなった、という意見をいくつか目にしたことがある。こういう場合の「くに」はもちろん、「生国・郷里・故郷」(『日本国語大辞典第二版』「くに」の項目9)という意味である。だがあらためて客観的に地域の風土・文化を眺めてみると、明治以降に作られてきた行政単位の「県」では収まらない「おくに事情」があるものだと思うことがある。昨日の小欄にも新幹線が通っているかどうか、ということで大きな違いがあることを記したが、それを利点とだけ捉えていいものかという疑問も生じるという趣旨を付け加えておきたい。特に幕末から明治維新の歴史を考えた時、薩摩の果たした役割は計り知れない。だがある意味で対局的に東の日向が存在していたことを、生活をしてみて実感するわけである。

鹿児島との往復は、好んで都城経由を選択している。ここのところ都城島津邸とのお付き合いも生じたので、尚一層その歴史が身近に感じられるようになった。現在の行政区画では「宮崎県」である都城市だが、文化的には薩摩との関係があまりにも深い。歴史上において「県」として独立しようとしていた時期もあったことが、十分に頷けるのである。それだけに都城で食事などをしてみると、宮崎市内とは異なる「味」に出会うこともしばしばである。もちろん宮崎県内でも、飫肥藩・高鍋藩・延岡藩と各地で風土と文化は違う。以前に親友の落語家さんと話していた際に、こうした藩単位での結束を重視した方が、緊急時などにも対応しやすいのではないかなどと話したことがある。「県」と大括りに考えがちであるが、「くに」という単位を活かしてこそ今後の少子高齢化社会には対応するのかもしれない。

あれこれと思索する一日
自らの「くに」意識はいかに?
相対化できる”ことば”を常に持ちたいものである。


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