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学祭の光景と時代

2017-11-20
身近な学生たちの非日常
そしてまた卒業生たちの来校機会
学祭の様々な光景から・・・

普段はマイクによる発声や大きな音のない静寂なキャンパスであるが、1年にこの数日間だけは「非日常」が訪れる。あくまで「学生による学生のための祭」であるから、赴任当初はあまり足を運ぶこともなかった。だがここ2年間は、教務担当ということもあって「緊急時対応」のために当番制で大学に詰めるようになった。幸い昨年も今年も「緊急時」に該当するようなことは発生せず、自由にキャンパス内を巡り歩くことができた。今年は特に「短歌会」ブースもあって、其処に行けば馴染みの学生たちにすぐに会えるという環境も整った。短歌会「第1号会誌」はなかなか好調に多くの方々に配布されたようで、ブースには短歌関係の方々も何名かが訪れてくれたようだ。まずは、興味を示して足を運んでくれた方々に感謝申し上げたい。今年は特に教室で何をするわけでもなかったが、来年以降はイベントを開催してさらに存在をアピールしたいところである。

さてキャンパス内には数カ所のステージが設けられ、ダンスや音楽が発表されている。其処にゼミ生が出演する光景を観るのもまた楽しみの一つ。普段のゼミでの討議では見られない姿が浮かび上がり、学生たちの日常が様々な綾で織り成されているのが知られる。だがいずれもいずれも「表現」に関係していると考えると、自ずとゼミで考えていることにも繋がってくる。学生時代というものは、専攻する「学び」だけでは十分な「学び」として満たされないと、自分の経験からも痛感するのである。思い返せば、僕の学生時代の学祭は今の時代とも違い、ある種の「主張」を持った企画イベントが乱立している様相であった。その中でどれだけ社会的にも通用する内容を企画制作実施できるかに、各サークルなどが躍起になっていた気がする。会員数100名近いサークルの幹事長という重責を僕も担っていたこともあるが、OBの方々をはじめ多くの社会人の方々から、様々なことを学んだ覚えがある。あらためて「あの頃」も忙しい日々を送っていたのだと、何かを担う「性分」なのを再発見したりもできた。

祭りのあとやがて哀しき
後夜祭での打ち上げ花火は今年から中止になったらしい
それでもなお、祭りには何らかの「主張」がと思うのは僕の世代だからであろうか。


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