和歌と短歌の文学史(Ⅲ)ー「空の会」講演
2017-11-15
今年で3回目シルバーケア短歌会にて古典和歌について深く知りたいという希望から
「古今和歌集からなる修辞技法について」
心の花宮崎歌会で懇意にする方々が世話役をやってらっしゃる縁で、シルーバーケア短歌会「空の会」にて、3回目となる講演をさせていただいた。結社を超えて日常から短歌実作をされる方々が、県立図書館の図書振興室に集まった。実作はすれどなかなか古典和歌をきちんと学ぶ機会がないという声から、まずは「和歌と短歌はどう違うのか?」という素朴な疑問から始まった講演である。今年は『古今和歌集』からさらなる発展を遂げた「修辞技法」について、という要望により講演題を決めた。まずは前回までの講演の復習という意味で『万葉集』から『古今和歌集』のあいだが146年間あることに触れ、『古今和歌集』が長年の歌風の違う歌から選ばれた歌集であることを確認。この年数というのが、我々平成を生きる者にとって明治維新から今までの時間的距離に匹敵することを紹介。子規・鉄幹・信綱・空穂などと自らの歌との隔たり感が、万葉と古今の間にもある。その後「題詠」について、歌合や屏風歌、そして成熟した題詠歌たる『新古今和歌集』の歌なども紹介し、そのあり方について説明した。
「かきやりしその黒髪の筋ごとにうち臥すほどは面影ぞ立つ」(新古今・恋五1390・藤原定家)
後半はまず「枕詞」から。その語自らは一首の中で中核的な意味は成さないが、ある語を誘発する力には歌の原点があるようにも思われる。むしろ意味文脈を成す「被枕」を言わなくとも想起させる力は、現代短歌でも応用可能だと思われる。
「あしびきの山の夕映えわれにただ一つ群肝一対の足(佐佐木幸綱『直立せよ一行の詩』から)
「序詞」は複線的文脈を「同音反復」「掛詞」「比喩」という連結機で前後を繋ぐ歌となり、その複線文脈が微妙に響き合うのが特徴である。言いたい「思い」は限定的となるが、その景との交響を「遊び心」で多様に読めるような歌であれば、現代短歌でも応用可能である。
「風吹けば沖つ白波たつた山夜半には君がひとり越ゆらむ」(古今・雑上994・よみ人しらず)
「掛詞」は周知の通り、一語に二つの意味を含ませるものだが、あらためて「自然」と「人事」が掛け合わされていることに注目。「人目も草も」(人事・自然)「かれぬと思へば」(離れぬ=人事、枯れる=自然)ということである。
最後に「縁語」であるが、「一首全体の趣旨とは無関係」であるのを特徴とする。
「袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ」(古今・春歌上2・紀貫之)
「袖」→「結ぶ」「張る」「断つ」「解く」(縁語関係の語)
「掬う」「春」 「立つ」「溶く」(一首の文脈と掛詞関係にある)
以上、講演レジュメから一部を紹介した。
「短歌県」を目指すには、こうした地道な交流を大切にすることから
荒む社会の中で、年齢を超えた学びは実に尊いものである。
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