あらためて和歌と短歌の文学史
2017-11-12
「和歌と短歌はどう違うのか?」それなりの回答はあるのだが
いつも釈然としないこの問いの在り処は何か・・・
「心の花」宮崎歌会でも当初から冒頭に記したような問いを、ある方から積極的に質問いただいている。その問いに応えるべく、高齢者支援短歌会「空の会」が主催する講演会において、諸々の資料を引きながら、ここ2年ほど話をさせていただいている。今年も今週14日(火)に第3回目の講演が予定されている。先月の和歌文学会大会シンポジウムでもやはり、会場からの質問としてこの話題が持ち上がった。確か俵万智さんにその質問が為され「以前に高校で教えていた身からすると・・・」と前置きしつつ、「短歌とは元来、長歌・旋頭歌・仏足石歌など多くの歌体があるうちの一種類であったが、平安時代以降は短歌形式が一般化し定着し、近代になって正岡子規が旧来の『和歌』に対して革新的な『短歌』を提唱し、より私性を旨とする『近現代短歌』となった。」(僕の聴き取った主観を交えた内容を記したもので、ご発言そのものではないことをここにお断りしておく)といった趣旨の説明が為された。
当該シンポジウムでは、パネリストの内藤明さんの資料に「(古典)和歌と「(近現代)短歌を通底したものとして捉えられるか否か?」といった趣旨の疑義が示されており、深く考えさせられた。要するに「やまとうた1300年」と言うのは簡単であるが、それほど単純なことなのであろうかと問い返してみる必要があるのではないかということ。『万葉集』から150年の時を経て、平安朝になって「勅撰集」として登場してくる『古今和歌集』はその後、近代に及ぶまで規範と仰がれ続けたわけだが、その「規範」の内実は何なのであろう?「人の心を種として・・・」と仮名序で貫之は宣言しながらも、「私性」を観念的な修辞で蔽い隠し公の「晴の歌」とする作用に、「和歌」制作の絶え間ない追求が為されたのが平安朝和歌史ということにもなろう。代作的・題詠的な歌のあり方をよしとする、となれば「抒情」はいかによんだらよいのか。特に「恋歌」を考えたとき、『万葉集』相聞歌からの系譜も鑑みて様々に考えるべきことは尽きない。現代短歌においても「虚構」と「創作主体」の関係性の問題は時折噴出するわけだが、その議論を整理するためにも、「和歌と短歌の文学史」を今一度明確に整理する必要性を感じるのである。
今回の講演テーマは「古今和歌集の修辞」
その必然性・必要性を考えつつ
現代短歌への応用の問題にも言及してみようと構想している。
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