一枚の葉書こころあふれて
2017-11-09
一言のコメントが励みになるそしてまた一枚の葉書にお気持ちが満載
ありがたき手書きの文字のぬくもりよ
大学のレターボックスには、多くが事務的な書類が届けられており、次なる仕事が想起され身構えることも多い。そんな中で万年筆で手書きされた一枚の葉書が届いていた。葉書というのは即座に署名や文字面から内容が読み取れるのも、一つの興であると実感した。廊下を研究室に向かいながら何度も文面を読み返し、この上なくこころがぬくもるようであった。それは先月宮崎で開催した和歌文学会第63回大会に、台風その他諸般の事情で来県を断念した先生から、その思いが綴られたものであった。内容的にはどうしても行きたいと思われていたようだが、それを「泣く泣く」諸々をキャンセルし「断念」したのだという趣旨が刻々と記されていた。葉書ゆえ決して長い文章ではないが、それだけにお気持ちが直裁的に前面に出ていて、受け取る側からすれば大変こころがぬくもった。
この葉書をいただいた先生は、「大会申込返信葉書」にも大会が実に楽しみであるという趣旨とともに、「ご無理なきよう」といった大会運営をお気遣いされる気持ちが短いメッセージに込められていた。大会開催の1ヶ月前頃より、実務的には辛い日々が続いたが、この先生の葉書の一言を何度も読み返して正気を失わないよう自分を保ったような覚えもある。大会開催に「執念」を燃やせば燃やすほど、「無理して」広い視野を失う可能性もあると考えたからである。それにしても「万年筆の青インク」による手書きの文字の葉書は、この上なくあたたかく感じる。これは決してメールやSNS投稿ではあり得ない、肌の身体的なぬくもりを伴うものである。Web上のように、相手が「開封」「既読」かどうかも即座にはわからない。相互に届くまでには時間を要するのだが、文字に表れたこころを受け取るといった対面的な身体性が実現するといった効能があるように思う。
自らも葉書と切手と万年筆セットは常備
文字を刻み相手に思いを伝える文化を大切にしたい
牧水などの自筆揮毫や信書の展覧を観る意味もこんなところにあるのだろう。
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