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此処にしおればその顔のあるー月下の宵にて

2017-11-06
旧暦9月17日
食事に温泉そして月と語り合う
「此処」にいつもの友あたたかき

好天である週末など、いつ以来であろうか?昼は穏やかな快晴、そして3日文化の日が旧暦9月15日であるゆえ、3日間で望月・十六夜・立待が楽しめた。この3日間は歌会もあったが、この半年ほどの学会大会運営で疲弊しきった心身に、再び充電をするという目標を掲げていた。それをまさに、穏やかな天候が後押ししてくれたような気分であった。連休最終日の宵の口は、「ちびまる子ちゃん」を観てから、カレーが食べたくなって近所の馴染みになりつつあるお店へ。「此処」はゼミ生の1人がバイトをしていて、日によってはカウンター越しにその顔が覗かれる。接客をする奥様の笑顔にもまた、実に癒されるお店である。注文して待っていると、お店の書棚に嵐山光三郎『文人暴食』の文庫があるのを発見。手にとって「若山牧水」の項目を読み始めた。もちろん「暴食」というより「暴酒」のことが歌を引きながら書かれており、個々の事例は知っていることばかりながら、一般向けの文体でこれほど「酒」のことだけに絞って牧水の生涯が語られている視点に聊か触発された。

前述した嵐山の著作がなぜ飲食店にあるのか、その理由がわかった気がした。お店の計らいでゼミ生が配膳したカレーも食べ終わったが、その自らの身体がさらに飲食を吸収したいという衝動に駆られているのである。笑顔で会計を済ませて、その後は近所の温泉へと向かった。老年客の多いこの温泉では、夜7時以降の客は少なくなる。しかし僕自身がいつも閉館間際の時間帯に行くので、馴染みになった常連さんが必ず何人かいらっしゃる。その方々と挨拶を交わしたり、世間話をするだけで、身体のぬくもりとともに心のぬくもりが感じられる。まさに心身をあたためることは、健康にとって大変重要であると思う。その温泉のガラス越しから、ふとまた月がこちらを覗き見ている。軒の僅かな隙間ながら、湯船から見える稀少な角度がある。そのとき、ふと「月」もまた友であるという感覚になった。温泉を出て帰宅すれば、庭先に差し込む月光がやさしい。思わず「月下独酌」を決め込んで、日向の「あくがれ」をお湯で割って一献。肴は牧水の友たる「土岐善麿(哀果)」らの歌である。探さずしても、友は我のまわりにたくさんいるものである。

あの月に人はなぜ惹かれるのか?
美味しい食と酒と友と・・・
そしてまたWeb上のメッセージで友からの親愛なる言葉もあり。


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