自立する三十一文字の育てるは
2017-11-01
ゼミでの課題対話大学院における対話演習
そして宮崎大学短歌会が育むもの
怒涛の10月も晦日を迎えた。最終日にふさわしく、ゼミから大学院講義に短歌会まで、学生たちと語り合う時間が続いた。思考をうちに閉じ込めず、頭の中にあることは表現して他者の前に晒してこそ、自己の言動が確立していく。この自明なことを思いのほか実行しないでいる人々が、最近多くいるように思う。自己完結、否、完結さえもしていなにのに、己の土俵の中でだけ相撲を取り凝り固まる。さすれば思考は凝固し偏り、寛大さを失い己の利害を指標とする言動に陥る。弱点を指摘されることを忌避し、言動に瑕疵があれば言い訳ばかりが口をついて出てくるようになる。こうした傾向を持てば将来、教育現場や社会に出た折に、児童・生徒や顧客対応において大きな過失に繋がる可能性があるだろう。学生時代こそ失敗を恐れず自らを他者に晒して、真摯に自立する姿勢に向かうことが肝要だ。
こうしたことを考えると、短歌会の活動はその分野の開拓のみならず、上記のような自己開拓にも有効だと常々思っている。己の心と向き合いその機微を拾って表現し、他者からの批評を受けて自らをより掘り下げて深く理解していく。頼るものは三十一文字の一行の自立のみであり、言い訳はなしであるのが前提である。出詠したすべての歌が公平な土俵の上で、無記名ゆえもあるが忌憚なき意見が浴びせかけられる。そこに妥協や偏向もなく、ただただその歌をどのように読むか、そしてどうしたらさらによい歌になるか、といった前向きな対話の場となる。文学が人間性を涵養するとするならば、歌ほど有効に作用するものはないようにも思えてくる。幸い宮崎大学短歌会の学生たちは実に前向きである。未だ結成して1年に満たないが、11月の大学祭で教室を借りて会誌などを閲覧・配布するスペースを設けるよう動き始めている。閉鎖的になりがちな昨今の社会環境の中で、誠によい学生たちと巡り会えたと思っている。
自己表現と対話
どのように学生が成長するか
理屈と言い訳抜きの現場に大学教員として立ち続けたいと思う。
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