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われとわが悩める魂の黒髪を

2017-10-30

研究発表という行為の在り処
自問自答しそして多くの研究者の前で披瀝する
質疑応答の対話とまた独酌の対話まで

静岡大学で開催されている中古文学会2日目、8本の研究発表が行われた。依然として台風22号が太平洋に沿って東進するなか、国立大学の広いキャンパスではバス停から当該学部棟まで歩くにも濡れに濡れて難儀である。だが其処には、この日のために準備に準備を繰り返された研究発表が待っている。自らが発表する立場となれば、雨に濡れることなどたいした問題ではない。毎度、発表を聞いていて思うのは、その人らしい視点ある研究であるかという点だ。ある先行研究AとBがあってどちからに傾倒してしまうのではなく、相反するものであっても一つに融合して相矛盾なく擦り合わせれば、新たな視点を生み出すことができる。やや違った角度から述べるならば、まったくの「独創」などはあり得ないはずで、自分の視点とは他者との関係性の上でしか決して理解できないものなのだと痛感する。師が示す見解に漬かるのではなく、自分でやろうという意志と野望の体現が研究発表ではないかと思うのである。

自問自答するのものまた研究であるには違いなく、また前述したような対話関係の上に立つのも研究である。そのように何事も一方に決めつけないことにこそ、知的さと理性が介在する。その研究を「酒」に例えるのは聊か不謹慎の誹りを逃れないかもしれないが、牧水という歌人が「自己即歌」と考えて、旅や酒に身を浸しながら多くの秀歌を詠んだことを考えると、つい類似点を見出してしまう。独酌してしみじみと自己の内部と対話するごとき飲み方、また一方で同朋と酌み交わしつつ語らいながら飲む楽しい酒。この両者がともに人生を豊かにする糧になると考えるのが、豊かな酒の飲み方であろう。牧水は大酒を飲んだことばかりが取り沙汰されるが、決して酔って乱れたり暴れたりということのない、豊かな酒であったと云う。このように考えるとまた、伊藤一彦先生と堺雅人さんの対談本の中に、「楽しい酒は残らない」という伊藤先生の名言があって堺さんが賞賛していることが思い起こされた。

「われとわが悩める魂(たま)の黒髪を撫づるがごとく酒を飲むなり」(牧水『秋風の歌』)
「魂」に「黒髪」がありそれを「撫づる」という比喩の面白さ
研究発表の質疑がときに「続きは懇親会で」というのはこうした意味があるのかも・・・


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