公開講演シンポジウム「古典和歌と近現代短歌ー研究と実作」
2017-10-22
「うたをよむとは?」「よむ」は「読む」であり「詠む」でもある
やまとうた1300年の歴史という時に・・・
構想2年、パネリストを個々に依頼しテーマをどのように設定するか?宮崎でしかできない学会シンポジウムにするにはどうしたらよいか?様々なことを考えに考えて来た。これはパネリストを決めてからテーマを決めるというような段階的なことではなく、その顔ぶれから生まれる対話的な創造をいかに意識して組んでいくかといった作業でもあった。いわば一定の線の「見えている」「想定できる」結論を導き出すのではなく、まさにこの対話性そのものが創作的な意味合いを持つものかもしれない、などと考え始めていた。実に大きく捉えどころのないテーマ、司会を依頼した先輩たる先生にも、その焦点化しづらい内容において何度も何度も問い返されることもあった。だがしかし、シンポジウムを実際に展開してみて、この設定は間違いでなかったと、舞台袖で総合司会をしながら頷くことの連続であった。
「我々が万葉集の歌を読む時、新古今集も読んでいる頭で読んでいる」といった趣旨の内藤明さんのご発言には、あらためて誠に深い問題意識が芽生えた。それは伊藤一彦さんの基調講演でのご指摘「牧水の歌には万葉集の影響があると簡単に指摘されてきたが、実は香川景樹から学んだ平明な表現と韻律の影響が大きいと考えるべきではないか」という点に通ずるものである。シンポジウムでは牧水の「白鳥は哀しからずや・・・」の歌に関して、その読み方が様々な角度から捉えられた。歌が詠まれる上での「事実と真実」について、『文學界』連載の「牧水の恋」でその深さを精緻に読み解いている俵万智さんの指摘にも、歌の創作主体がどのような作用によって作品を生み出していくかを具体的に示してもらうような展開であった。小島なおさんは幼少の時、お祖母様から「銀も金も玉も何せむに・・・」の山上憶良の歌を刷り込まれるように聞かされたことで、その「銀(しろがね)」という語彙を活かした歌を創作したと云う。そして永吉寛行さんからは、小中高を通して歌を創作的に扱う実践や試みが紹介され、学校の授業が歌を解体して扱っている過誤から、むしろ歌の本質が見えてくるようにも思えた。総じて歌はまさに日本語における欠くべからざるコミュニケーションツールであって、それゆえに関わる人々を繋ぐという見解に、和歌研究者として実作者として、身の引き締まる思いがした。
まだまだほんの一部しか書き記し得ないが
この内容はいずれ学会誌『和歌文学研究』に掲載される。
やまたうた1300年の対話「一本の史の(不)可能性」の上で・・・・・
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