究竟な父の背中
2017-10-13
「誰しも同じ、持ち時間は24時間それをいかに働いて活かすか」
やはり究竟(屈強)であった父の言葉に励まされ・・・
私事めいたことはあまり小欄には書くべきではないと思うが、現状を表現するには欠かせないと思うので敢えて書き記しておきたいことがある。和歌文学会大会の開催が近づき、この数ヶ月間で憂えて来たことは、大会運営には直接関わらないことで心身が揺さぶられることである。数日前にも新燃岳が6年ぶりに噴火したという報を聞き、以前の噴火のように大規模なものとなったら、降灰などで大会に訪れる会員のみなさんに諸々の影響が出やしないかなどと心配になる。そんな最中10日ほど前であろうか、父が腰を骨折したと母からの電話で知った。変わらず現役で建築業を営む父は、現場作業に関わり資材運びで転倒したらしい。幸い神経を痛めたりということはないが、自宅で安静にしていて十分な歩行はできない状態だと云う。本来なら週末などを利用して上京し見舞うべきだろうが、今の僕にその余裕はなかった。こうした時において、あまりにも1200Kmの距離は遠い。
だが昨日になって受診しコルセットが完成して装着すると、だいぶ歩けるようになったと妹からのメールで知り、胸を撫で下ろす思いであった。しかも妹が止めたにも関わらず、父はその足で建築現場に向かったというのだ。研究室でそのメール文面を読んだ時、何か言葉にはならずして胸が熱くなった。幼少の頃から自営業ゆえ、自宅で父の働きぶりを目の当たりにして来た。「夜なべ」と言って仕事が深夜まで及ぶこともしばしばで、冒頭に記したような言葉を仕事場を訪ねる僕に言って聞かせた。この10日間ほどはかなり自分自身の不甲斐なさに苛立っていたようだが、それは「仕事」が気になる「プロフェッショナル」な精神に起因するものと確かめられた。夜になって父に電話をすると、1週間前と見違えるほど元気な声であった。若い頃から幾たびも辛い仕事を乗り越えてきた父であったが、またまさに父らしく究竟であった。どんなに辛くとも、どんな悪条件に見舞われても「プロ」の矜持は失うこと勿れ。あらためて父から学んだのであった。
志望通りの私立大学に進学させてもらったこと
その後も紆余曲折の果てに歩む研究者としての道を支援してくれたこと
この和歌文学会大会を穏やかな気持ちで完遂することが、僕の父への恩返しなのかもしれない。
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