小さな苛立ちに注意
2017-10-12
東名高速での悲惨な死傷事故SA内での小さな苛立ちに端を発す
苛立ちを穏やかに落ち着かせるには・・・
東名高速で娘さん二人をワゴン車に乗せたご夫婦の死亡事故について、テレビなどでその原因究明が為されている。それらの報道によると、SA(サービスエリア)内で通行を妨げるように停車していた車に対して、ワゴン車に乗っていた夫がひと声の注意をしたところ、停車していた車の苛立った運転手が高速道路上でこのワゴンを追走した。その後、ワゴン車を追い越し前に出て進路を塞ぎ、とうとう高速道路内の追越車線で停車し後ろのワゴンも止まらざるを得なくなった。100Km上の速度で車が走る高速道路内でしかも夜間に停車すること自体が常識を逸脱しているが、苛立った運転手は車から降りて、ワゴン車のご夫婦に所謂「因縁をつけに」車外に出た。ご夫婦も車外に引き出され、そこへ後ろから大型トラックが追突。ご夫婦の命が奪われたという経緯だと云う。
この車を運転していた男は逮捕されたが、なぜ小さな苛立ちを抑え切れなかったのかと思う。しかもSA内で非常識な行動をしていたのは、この男の方である。良心から注意した夫が妻ともども娘の前で命を落とすという悲劇を生んだ。誰しもが、苛立ちや憎しみの感情がないわけではない。だがそれを他者と話したり何らかの方法で表現することで、消化(消火)し社会の中でも理性を保ち、遂には自らの心身を護ることになるのではないのだろうか。最終的に苛立ちや憎しみは、自らを壊してしまうことを考えるべきかもしれない。運転中の苛立ちというのは、日常茶飯事である。理性的にとは思いながら、つい自己嫌悪になるほどの感情に至る場合がないことはない。
つい先日も、僕が左折ウインカーを出そうとしたら謝って照明操作のバーを前方に押してしまい、たぶんライトが意図せずパッシングされてしまったのであろう。前方を走っていた軽自動車が急加速して、その先の一時停止も無視して僕の車の前方から逃げ去るように猛スピードで遂には見えなくなった。その軽自動車の運転手は「煽られた」と誤解したのだが、まさにまったく意図もしない誤解であるにも関わらず、「煽られたくない」という気持ちから道路上での危険な運転に至ったことを経験し、その車に申し訳ない気持ちやら、この運転心理は何か?と問題意識を持ったという経験もした。
どんな場面でも冷静に穏やかでありたい
苛立ちの多くはことばによって解消できるはずだ
まずは誤解を招かぬようレバー操作一つにも注意を傾けたい。
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