光る歌・自立する歌ー歌会に出詠するということ
2017-10-08
連作中の個々の歌の役割説明的いわば詞書的な要素もあるうちで
歌会に出詠する際に選ぶべきものとは・・・
第316回「心の花宮崎歌会」が昨晩開催された。毎回40人以上の方々が歌を出し、参加者は東京歌会に次いで全国でも有数の規模である。これほどの出詠があると多様な歌があって、毎回諸々とその”読み”に考えさせられる。わかりやすい歌もあれば、どうしてもわからない歌もある。そんな混沌とした中からも様々な”読み”に対する意見が交わされ、その対話に参加して学ぶことは計り知れない。だが、どうしても気になるのは自らの歌の行方である。互選票が入るや否や、そしてどのように読まれるのか?どうもそのことに神経を遣い過ぎてしまい、他の方の歌において積極的な意見を出し切れていないのではないか。またこうした姿勢から、どうしても”構えた歌”を出してしまうことが多く、その結果「わからない」対象になってはいないか。昨日の出詠も、過剰な推敲の果てに状況の捉え所なき点ばかりが目立ってしまった、と反省しきりである。
連作を創ることは、短歌を詠む上で重要なのは言うまでもない。その連作の中でも、スター的存在というか「光る歌」が求められるということが、懇親会の席上で伊藤一彦先生からご指摘があった。「光る」ということは、「自立」していることでもある。そして連作の「モチーフ」たる横軸に貫かれており、目玉の「素材」を狩り取り、その「私(創作者)」としての「心」に発し「場面状況」に適した「韻律」に載せる、と理論上ではこういうことになろう。ここ最近、僕の場合は月に3回の出詠機会がある。「心の花宮崎歌会」の1回に加えて、「宮崎大学短歌会」の例会2回である。どうやらこの学生たちとの歌会の方には、あまり構えずに学生たちの年代に触発された歌を出すせいか、思いの外うまくいくことが多いように思っている。『心の花9月号』で「今月の15首」に選んでいただいた歌はまさしくそれで、「宮崎歌会」参加の方々からすれば意外な歌であったかもしれない。
構えず素直に1首を磨く(小欄での即詠を褒めていただいたりも)
再びこの混沌たる模索から立ち上がり
歌の果てしない道を旅してゆく
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