再読「藤田省三」今こそー「花粉症ゼロ」に考える
2017-10-07
公約など比較してみれば「12のゼロ」などが気がかり
思わず「藤田省三」の著書を再読する
急な解散総選挙となり、関連した報道が喧しい。個人的には2年前から計画してきた自らが開催校の和歌文学会当日が、投票日とされて迷惑千万この上なきである。それにしても、あれだけ危機を煽るように報道されていた北朝鮮のミサイル問題や政治家・芸能人の不倫報道、ましてや森友・加計問題などはどこへ行ってしまったのだろう。選挙という喧騒で国中に煙幕を張り、すっかり全体を覆い隠し、本質的に何が問題かなどという精緻な思考を麻痺させてしまうような作用が列島を席巻してしまっている。そんな中で急ごしらえの新党が、それらしい公約を掲げて「国民のため」を訴えようとしている。我々はそれらを冷静に公平な視点で思考を働かせて鵜呑みにせず、注意深く拒む姿勢を忘れてはならないように思う。調子のよい話ほど、危いのは世の常である。
ある党が公約に掲げた「花粉症ゼロ」が大変気になった。今や「国民病」とも言える罹患率の高さゆえ、ここに目をつけたのであろうが、「アレルギー」を「ゼロ」にするという発想そのものが大変危ういのではないかと思ったゆえである。対象の本質を十分に検討もせず、政治的な判断で「殲滅(ゼロ)」にしてしまう発想は、今に始まったことではあるまい。思わず、藤田省三「全体主義の時代経験」(1995 みすず書房)を再読してみた。そこには「二十世紀は全体主義を生んだ時代である。」として「戦争の在り方」「政治支配の在り方」に加えて「生活様式」の「お互いに異なった三つの形態をとって相継いで現れ続けている。」と指摘している。どうやらそれは今も「現れ続けて」いるようだ。特に三点目の「生活様式」については、「通常の社会意識の中では、『経済中心主義』の一環であって、従って平和主義的なものであり、前二つの暴力的『全体主義』とは反対のものと思われがちである。」と藤田は云う。それだけに「花粉症に生活様式上で悩む国民のため」という「平和主義的」に”見える”ことは、その反転を考えておかねばなるまい。「政治支配の全体主義」を考えた時、それは「難民の生産と拡大再生産を根本方針とするものであった。」という藤田の指摘が、今や「生活様式」の中で反転され「平和」という顔をしながら我々の「思考」を奪いつつあるのではないか。元来、十分に原因も究明されていない花粉症は、恐らくは「経済中心主義」による環境破壊と豊かさの錯誤から生じた「20世紀型疾病」であり、「政治支配」とも無縁ではあるまい。まさか国中の「スギ」を「殲滅(ゼロに)」しようと思っているわけではないだろうが、反転すれば誠に恐ろしい「思考」であり背筋が凍る思いである。
最後にこんな藤田の指摘も再読しておこう
「経験を欠いた欲望は無闇に昂進する。戦闘経験を持たない者の戦闘意欲は、実態の苛酷さという抑制の根拠を内部に持たないために、徒にひたすら燃え上がるばかりである。」(前掲書P26)
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