はがき歌と多作の効用ー正岡子規の所業から考える
2017-10-05
「十四日、オ昼スギヨリ、歌ヲヨミニ、ワタクシ内ヘ、オイデクダサレ」(正岡子規の「はがき歌」より)
日常語の中にある五・七・五・七・七などなど・・・
角川『短歌』10月号は「正岡子規生誕150年 和歌革新運動」の特集が組まれている。その中で坪内稔典氏が子規の「線香会とはがき歌」について寄稿している。子規が俳句と短歌を比較して「空間(俳句)と時間(短歌)」を詠むのに適しているとしたことや、短歌は「調子の美」(『歌話』)を感じさせるもので、俵万智の歌の用語使用に通底するものがあるとして、「竹の里人(子規のこと。稔典氏は子規ではなくこの呼称で呼ばれるのが本人にとって本望であったとして文中ではこれを通している。中村注)は明治にいちはやく現れた俵万智だった。」と文学史を反転させてこれを評していて面白い。さらに興味が惹かれたのは、後代がほとんど無視したものとしての「線香会」という歌会のこと。線香を一本立てて、その間にできるだけたくさんの歌を作るというもの。「線香が消えるという脅迫が緊張感を高め、火事場の馬鹿力のような何かが出る」のだと云う。多作をするということが意外な力を引き出し、無意識下に自分なりの歌ができる可能性ある歌会の方法である。確かに歌作をしていると瞬発性をもって作ったものが、キラリと光る作品となることもある。
もう一つ、「竹の里人」の所業で「後代が無視」しているものとして「はがき歌」を挙げる。これは冒頭に掲げたのが稔典氏引用の一例であるが、はがきの通信的文面が自ずと「五・七・五・七・七」になっているわけである。先日の宮崎大学短歌会で、丸ごと挨拶文のような歌が出詠され、歌全体をカギカッコで括るべきでは、などという点が議論になって大変面白かった。その歌作りの方法は、まさに竹の里人の「はがき歌」に原型があったのだ。いやいや稔典氏曰く「平安朝の消息としての歌がごく自然に蘇っていた気がする。」と感想を漏らす。となればこうしたまさにメッセージそのものが歌となっているものは、古典和歌のあり方にも通底することになる。竹の里人、いや正岡子規は、『歌よみにあたふる書』にて『古今集』や「貫之」を徹底的に攻撃したが、なにそれ平安朝の歌のあり方を明治期に掬おうとしていた(本人の意図はともかく)かと思うと、古典和歌研究者としては安堵した気持ちにもなる。今月21日の和歌文学会公開講演シンポジウムでも、こうした「歌のメッセージ性」は大きな議論の要点となるであろう。
歌作とは、構えずに日常生活の中にあるものだ
そして多作すれば自ずといい歌が生まれてくる
「うたとはなにか?」公開講演シンポジウムでの議論を心待ちにしたい。
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