あの月を母も見るらむ
2017-10-04
「あの月を母も見るらむ杯あげて生をいただく今日を祝はむ」事務仕事・ゼミ・大学院講義に学生短歌会
すべて終わってやっと・・・・・
母の誕生日であると知りながら、ひとたび仕事に入ると隙間のない時間が夜の8時半頃まで続いた。それでもゼミでの学会準備作業に教育実習の振り返り、大学院講義での古典和歌の話題、そして次第に各歌が個性的にレベルアップして来た宮崎大学短歌会の対話に加わっている時間は、誠に充実感があった。その後、ようやく研究室で母に誕生祝いの電話をした。宮崎に移住してからというもの、当日に母の誕生日を祝ったことはない。だが近くにいて平然と祝っていた頃よりも、この日の意味を深く考えるようになった気がする。自分の誕生日というのは、もちろん自らの「命」の「始発」であるが、母の誕生日があってこそ自らの「生」があると考えるならば、この日が僕の「始原」記念日であるとも言える。こうした共感性こそが、家族の意味ではあるまいか。
時に旧暦8月14日、大学から帰宅して車庫から月を見上げれば、心なしか微細に欠けた月が微笑みかけてくれた。思わず路地裏をそぞろ歩きがしたくなる気分となり、荷物だけ置いて家を出た。少々歩いた後に近所の店のカウンターにて一人で祝杯をあげた。だが妙に不思議な気分である、あの空の月が一緒に酒場まで付いて来ているような気分になった。そういえばいつぞや母と電話をしていて、東京で月を見上げて同じ月が宮崎でも見えてるのが不思議だ、といった趣旨のことを父と話したと聞いたことがあった。人為で遮るものが何もない月こそ、遠方の人と人が心を交わす象徴となる。ゆえに古来から月を愛で人を恋う詩歌は数知れない。ちょうど現在、日向市東郷町坪谷の若山牧水記念文学館では企画展「牧水と月」が開催されている。
本日は旧暦仲秋の名月である
けふもまた月が見たくなった
そして自らが生を受けたことに深く感謝するのである。
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