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ただそこにある重箱ひとつー朝ドラ「ひよっこ」の描いたもの

2017-10-01
普通の女の子の普通な成長譚
劇的な展開ではないジンワリくる感激
何事も過剰な世相への警鐘にも思えて来たり・・・

久しぶりに半年間を通して朝ドラを追い続けた。もちろん主題歌が桑田佳祐さんであったのも大きな動機であったが、有村架純さんのあまりにも普通で純で前向きな演技に打たれたことも大きな要因である。多くの朝ドラは「ヒロインの幼い女性が家族などの共同体から離れ華々しく自立する物語」という構造的な図式があるが、今回はその同線状にあると思わせながらも、最後まで「家族」という共同体のありがたき意味を描き、ヒロインも職場の男性と幸せな結婚をするという決して「華々しい」とはいえない「普通の幸せ」を掴み取るところに特徴が見出せた。(最後の主題歌配役タイトルでみね子や愛子の姓が変わっている!)親友と朝ドラの「結末予想」を雑談したことがあったが、友は「みね子がスターになる」という「華々しさ」を予想していた。たぶん多くの「朝ドラ」のこれまでの劇的な展開”コード”からすればさもありなんとは思いながら、今回ばかりは違うのではと思っていた僕の見方に軍配が上がったわけである。

「みね子」は奥茨城の家族、集団就職により向島電気、赤坂のすずふり亭と三か所の共同体の中で、それぞれの構成員の人々との人間臭い繋がりを大切にし、不器用ながら笑顔で生き抜いて行く。それぞれの共同体には、現在ではすっかり失われてしまった「”私”の共有」がある。それが「農作業」や「寮生活」に「向こう三軒両隣」といった”装置”によって、ドラマ当時の設定から50年後を生きる我々に問い掛けてくる。家族や親友との連絡は「手紙」であり、多勢が嘗ての修学旅行のように一部屋で生活したり、壁越しに音が聞こえて来たりする。その通信に要する時間の長さや、「個」が「個」で籠ることのできない環境によって、むしろ人は感情の襞に耐性を身につけ、助け合うことを本望とすることができる。最後はこの三つの共同体が、みね子の父・実がすずふり亭に重箱を預けておいたのを思い出すことで連繋したことが示される。過去が過去ではなく、向島電気の課長が電気屋を自営していたり、集団就職時の担当教諭がみね子たちの元を訪れたりもする。時間的にも空間的にも連繋ある「社会」がそこに描かれている。その「ただそこにある重箱ひとつ」によって、人と人の糸は繋がることができるのである。その小さなこころの機微に視聴者が感激できるたのは、現在の世相が「世知辛い」といった表現では物足りないくらい悪辣だからだろう。我々は「失われた50年」をどう取り戻したらよいのだろうか。

「若い広場愉しドラマ
 夢膨らむ青い空
 
 片寄せ合い声合わせて
 希望に燃える恋の歌」(桑田佳祐「若い広場」歌詞より)

僕らの中に残っている小さな小さな人との繋がりを大切にしたい。


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