師のありがたさいまここにあり
2017-09-30
師と仰げる人物はいるか厳しく温かく行く道を明るく照らす存在
師のありがたさいまここにあり
ちょうど10年前のことである。学部時代の指導教授と当時所属していた大学院の指導教授が、半年のうちにともに天国に旅立った。後者の恩師は前者の恩師の葬儀に参列していたわけで、ご本人も状況がわからぬうちといった急逝であった。師が世を去るということは、これほど辛いことはない。特に研究を志している場合、その本筋が折れてしまったような失望感を持たざるを得なかった。何を隠そう博士論文審査を年内に始めようと、指導教授から話をいただいていた矢先であったから。研究は独創性が求められながらも、その方法・性格はある種の見本が必要であるように思う。2人の尊敬する恩師の思考方法を、無意識のうちに継承しているのだと、今でも感じることがある。それだけに「いま」の自分があるのは、言うまでもなくこの2人の恩師のお蔭である。
この10年間は、真に相談できる師の存在がなかった。かろうじて期限の間際で学位を取得することができたが、その後の大学教員就職が難航し、かなり強引に前に前に進んで来たところがある。周囲の絶対的な反対を押し切って中高専任教員を辞し、大学非常勤講師というその年限定で翌年の目処のない収入源たる職に身を置いた。恩師がいたら何と言うだろうか?学部時代の恩師からは、現職教員でありながら大学院に再入学を試みるときに「簡単に大学教員になれるなどと思うな」と電話口で叱責された記憶が鮮明だ。その記憶を念頭に置きながらも、人生の賭けとも言える漂流に挑んだ。現実も「簡単に」では決してなく、考えられない回数の「絶望」の書状を手にした。そんな10年を背負いながら、まさに僕の「いま」がある。辿り着いた場所が、宮崎であったことに最近はあらためて深く感謝している。
夜いただいた一本の電話
その会話だけでこれほど元気が出てくるものか
宮崎には紛れもなく今後の人生を照らす新たな師の存在があるのだと確信できた。
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