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プレゼンと発表のあいだ

2017-09-21
図表を示し身体性も十分に活用するか
練りに練り上げた原稿を読み上げるか
果たしてどちらが効果的なのだろうか?

この国には、善かれ悪しかれ「原稿読み」による発表形式の文化があるように思う。国会をはじめ政治的な答弁はもちろん、式辞などの公的挨拶は紙にしたためておくことで儀礼的な重厚さが演出される。それのみならず宴席でのスピーチ、会議での発言、研究学会での発表に至るまで、多くが「原稿読み」という形式の口頭表現スタイルを採る。こうすることによって、政治的答弁は感情に左右されることなく、会議での発言も既定路線が守られ、研究学会での発表なら事前に図っておけば確実に時間内に終えることができる。原稿読みではなく場当たり的なものとなれば、ここに列記したことの裏返しの欠点が浮上して来る場合が多い。だからといって、「原稿読み」が最良のものとは、どうも考えづらいのである。

政治答弁に典型的なように、「原稿読み」をすると果たして当人が思ったことを弁じているのか疑わしく感じられてしまう。読み上げそのものが「棒読み」となり、感情が露出することはない。「官僚答弁」と揶揄されるのは、まさにそんな読み方の典型であろう。思うに、その「読み方」を育んでいるのが〈教室〉での「音読」ではないかと思うことがしばしばだ。小中高を通して発達段階が上がると、次第にこの「棒読み」は熟練して来る。いかに気怠く相手が”聞きたくないように読む”方法を身につける。などと学校教育の「音読」だけを悪者にしても仕方ない。ここには、日本語の「書き言葉」と「話し言葉」の無自覚な乖離があるようにいつも考える。文化的に転じてみれば、米国で行われる弁舌の訴える力は、まさにこの「棒読み」と対極にあるように思う。(最近は弁舌内容が野卑ではあるが)大統領スピーチからIT企業の新製品発表まで、実に効果的に訴える力がある。こんな視点から、「国語」の授業も改善される方向を模索すべきではないかと考えるのである。

聴衆の方を全くみないで発表し尽くす
アイコンタクト十分に身振り手振りも加える訴え
言語そのものが近現代に抱え込んだ矛盾を見直してみる時かもしれない。


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