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「男の人にはわからないゆえの女心」なのか?

2017-09-20
「おみなこころ」
「女心と秋の空」
「女に特有の気持ち」(『日本国語大辞典第二版』より)

世はすっかりジェンダーフリーな時代だが、「女心」などという語彙が使用されることは少なくない。特に「恋心」といった上で意味する場合が多く、桑田佳祐さんの曲の中にも「可愛い声でごめんと言って、振り向きもせず出て行くあなた」や「突然はいそれまでよ」といった唐突な心変わりを「女心」として描いている作品も目立つ。そうした歌詞の中で、「男」はたいていその「女心」を理解できず、「粋で優しい馬鹿」として描かれるのが桑田さんの男性観でもあると思うことがある。NHK朝の連続ドラマ「ひよっこ」も大詰めを迎えているが、記憶を失った主人公・みね子の父親・実が、奥茨城の家で農業に従事するうちに妻である美代子をあらためて「好きだ」という場面があり、美代子も「そんな誠実で優しい実さんが好き」と言いつつも相変わらず「女心」はわかっていないと言う。だが「男の人にはわからないのが女心ね」と悟る場面があった。

考えてみれば男にはわからないゆえ「女心」だというのも、理論的には妥当ではある。また冒頭に引いた成句「女心と秋の風」は、元来は「『男心に秋の風』を言いかえたもの」(日本国語大辞典第二版)であるとされている。となれば「心変わり」しやすいのは「女」に限らず、従来から「男」もそうであった訳であり、「女心」「男心」も語彙史を通底してみれば、ジェンダーフリーであるといってよいようである。古典和歌から近現代短歌に至るまで、「忍ぶ恋」や「叶わぬ恋」「切ない恋」を主題としているのは、こんな男女問わない「恋心」の本質に起因しているのであろう。牧水も激しく悲痛で簡単には叶わない小枝子との恋を経験することによって、その歌の境地を高めたといっても過言ではない。その後は牧水を一生かけて支援し続けた喜志子を妻としたことで、その後の歌人としての功績も積み上げられたことだろう。牧水の歌を考えることは、自然や旅や酒のみならず、こうした「恋心」においても様々な「学び」がある。そしてたぶん牧水もやはり、「女心」はわからなかったのではないかと推測しておく。

「わからない」ところがあっても
自分らしくあり好きな同士でいられるということ
「ひよっこ」は劇的変化ではなく、人間の微妙な心の機微を描く秀逸さがあってよい。


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