学びは全身で為せー「頭でっかち」からの脱皮
2017-09-13
講演・授業・説明会いずれも知識を提示し頭だけを使うことになりがち
身体を動かす学びを創る
高度情報化社会となる情勢下、「知識」の価値が変化して来ているように思う。Web検索すればすぐにわかるから「知識」は不要なのか?もちろん否である。思考するにあたり基盤となる「知識」があってこそ、創造的な発想も湧き出すものである。だが講演・授業・説明会などにおいて「知識」を切り売りすれば済むのかといえば、それもまた否である。提供する「知識」がどう活用されるかを頭なのみならず、全身で納得するような内容や方法が求められていると思うのである。
講演・授業・説目会で「眠くなる」というのは、前述した方向性のないもの。理屈を理屈で説くに過ぎず、まさに「空論」として聞く者の中に定着することもない。「座って聞いている」という条件の中にあっても、その聴衆の脳内のみならず、手足・声・耳・鼻・腹・肌などを起動させる工夫があれば、「眠くなる」ことはない。どうやら講演・授業・説明会で普段から心掛けていることは、こうした「頭でっかち」からの脱皮ということである。
短歌も「運動不足」では飽き足らず
身体を肉声で表現していくということ
知識偏重社会ゆえに心掛けておきたいこと
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