学校にもの読める声のなつかしさー牧水の耳
2017-09-10
「学校にもの読める声のなつかしさ身にしみとほる山里すぎて」(若山牧水『山桜の歌』より)
牧水の繊細な耳のよさよ・・・
蝉の声も聞かれなくなり、聴覚的にも平穏な休日。毎年、梅雨明け頃を目処に施して貰っている庭木の剪定が今年は機を逸してしまい、涼しくなったこともあって植木屋さんがようやく2日間の作業に来てくれた。リズミカルな植木鋏の音は、金属音ながら人間の身体性を感じさせて心地よい。もちろん時折、電動機具も使用しているのだが、家主がほとんど雑草抜きなどに怠慢なため、みるみる綺麗になる生垣を見るのは気分がよいものである。住宅街に建つ家は夜など甚だ静寂に包まれる。寝床に入ると気になる音もなく、安眠環境を整備していることもあって、毎晩ぐっすりと眠ることができる。だが朝の鳥の啼く音からして、人は何らかの「音」があることによってむしろ「静寂」を自覚し、自己存在を確かめると言ってもよいのかもしれない。
冒頭に引いたのは牧水第十四歌集から。大正十一年に長野・群馬・栃木各県を旅した「みなかみ紀行」の歌。旅の途次、山里を通り過ぎると学校から「もの読める声」が聴こえて来て、その「なつかしさ」が「身にしみとほる」と詠んでいる。周知のように牧水自身も日向坪谷という山里の生まれ。自然豊かな環境の学校で自らも含めた「もの読める声」が、山合いにこだましたことだろう。牧水生家のある場所は川の流れも近く、とりわけ湾曲した生家前ではその音も響き渡り一日中水の音に身を浸すことになる。幼き日にそのような環境で育ったせいか、牧水は大変「耳」がよく鳥の啼く声で種類を聞き分けたことも知られている。第一歌集はもちろん『海の聲』と名づけた。そして自らの歌の韻律にも敏感だったのは言うまでもあるまい。
「水の音に似て啼く鳥よ山ざくら松にまじれる深山の昼を」(『海の聲』より)
牧水の愛した自然の「音」「聲」「響」
来週17日の牧水祭(牧水命日)は坪谷で、伊藤一彦先生とこんなテーマで対談をする予定である。
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