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漢語優勢の自覚ーやまとことばを学ぼう

2017-09-07
「天地・鬼神・男女・武士」
さて上記四語は、どのように読むでしょうか?
まずは中学生に読ませて考えさせる授業実践へ

教職大学院生の実習指導で附属中学校へ。以前から対話を通して構想してきた、中学校3年生「万葉・古今・新古今」の単元の授業実践が始まった。教科書の最初の教材は「古今和歌集仮名序」を音読を中心に学習する構成となっている。概して「音読」というと「読んで終わり」というイメージが持たれやすいが、今回は「語の読み方を考えて内容の要点を捉える」という思考の深い授業を学習指導案の段階で院生と構想していた。まずはふりがなのない本文を、生徒たちが音読する。「(漢字の)読み方」に疑問を持ったらそこに印をつけておく。そして全体で一斉音読をしながら、「読み方」が割れた部分で音読を止めてその「読み方」を確認するというものだ。「仮名序」冒頭の「やまとうたは人の心を種として・・・」の「種」からすぐに「シュ」なのか「タネ」なのかと読み方は割れる。指導者は「冒頭を『やまとうた』と読んでいるが、それを漢字にすると?」と問いかける。最初は「大和歌」などを生徒は挙げたが、やがてそれが「和歌」なのだと気づかせるところが、この授業の大きな眼目である。

以後、冒頭に記した語などは「テンチ・キシン・ダンジョ・ブシ」と読む者も多いが、それは「音読み」であって「訓読み」ではないことを指摘すると、諸々と考え始める。周知のように「アメツチ・オニガミ・ヲトコヲンナ・モノノフ」とやまとことばで読むのが一般的であろう。「国語」の授業では往々にして「読み方は教えるもの」という意識が指導者に強い。よって「範読」などという国語教育上の用語まであって、教師は読み方の「模範」を聞かせるような指導が多い。だが果たして総合的な意味で指導者の「音読」は「模範」と言えるのであろうか。むしろ生徒の「なぜそのように読むか」という思考を奪ってしまう。おしひろげて考えるならば、「読み方」そのものが多様で相対的なものではないのか。それにしても中学生が試みで読んだ「仮名序」は「漢語読み」が多いことに、あらためて考えさせられた。小欄の文章も例外ではないが、明治時代以降の「日本語」の歩みを考えた時、どうしても「漢語」の使用率が高い傾向にある。むしろそれゆえに、こうした古典学習の意義も深まろうというもの。特に「和歌・短歌」によって「やまとことば」が保存・継承されているという点は、重要であると思われる。

「漢語」は特に「(意味が)わかった気になる」
「やまとことば」に変換する学習も試みてみようか
明治の歌人で、やまとことば使用率が一番高いのは牧水であったという調査結果が貴重である。
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