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偶有性の中の奇蹟

2010-07-08
7日(水)雲に覆われ殆ど星をみることはできなかった東京地方だが、ひととせにひとたび牽牛と織姫が出会う七夕の夜を迎えた。大きな宇宙の中で、地球から星に願いを込めて、ロマンをもった偶有性と奇蹟の物語が、過去から今に至り語られて来たと言うわけだ。この大きな世界観の中で、人間存在自体が、何とも貴重な「奇蹟である」と語ったのは、かの井上ひさしさんである。

 「人間とは奇蹟そのもの」

 井上さんの言葉に込められた思いは、様々な重い意味を含む。人類が戦争という過ちに進んだことの下劣さを、人間としてどう考えて、どのように行動すればよいか。井上さんが小説や戯曲の中に、書き記してきた言葉の重さを、TV番組の特集で改めて感じたのも、この日の夜であった。

 また、Twitterで茂木健一郎さんが、自身のブログ「クオリア日記」の記事を示し、日本では「伝記」を、大人が読まないことを指摘。欧米では多くの「大人用」伝記が書店の棚を賑わしているという。この違いは何だろうか?

 それは、子供向きの「偉人伝」が多く存在することに関係があるという。つまり、失敗がない保護者付の安心物語が、子供には読まれるのだというのだ。「偉人」つまりは「成功者」。挫けることよりも、いかに成功したかということが焦点化され、苦労はあれど結果として成功した人生を描くのが「偉人伝」だ。

 これに引き換え「伝記」は、必ずしも成功体験だけが語られるのではないという。行く先どうしようもない苦しみや、失敗を重ねながらも人生を歩んでいくという、茨の道そのものを描いているのである。日本人は、こうした苦しい道を歩んだ人生を本から学ぼうとしないのだという。

 この伝記に示された人生から学ぶものは、茂木さんの言葉を借りると次のようなものだ。

 「偶有性の中で保証なき大海の中で生きる糧を得る。」

 それが日本人は、未だに「護送船団方式」の中で、「安心」という幻想を求め、苦しみなき人生が、普通であるという「誤解」から抜け出せないでいる。これも茂木さんの言葉を借りれば「ガラパゴス化」しているというのだ。そのうち、この比較的大きな島の中で、日本人は絶滅危惧種となり、世界から孤立し、苦労なき幻想たる人生を思い描きながら、化石化していくのである。

 今こそ、大きな大海、世界の流れがどうあるかを考えるときだ。若者を含めた内向きな志向を、海を越えた大きな世界に新たに向けていくべきではないだろうか。平成の維新は、政治の世界などではなく、我々、一人一人の意志の中にあるのだと痛感する。

 「偶有性と奇蹟」この状態と結果の中で、とことん大きな夢を追い求めた尊厳ある人間存在を改めて、我々は意識していかねばならないのだろう。

 幾千もの星の中で、人間という奇蹟の、さぞ貴重なことよ。

 自己の命の尊さを改めて感じずにはいられない一夜である。

 今は星となった恩師の誕生日に添えて。
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