メディアとしての身体
2017-09-02
教員自身がメディアそのもの声で動作で伝える力
読む受動的学習から表現する能動的学習へ
集中講義最終日3日目。諸々の先進メディアを利用すれば画期的な国語授業が創造できることが、ある種の幻想であることを確認するため、教員としての身体性を自覚しメディアと融合する試みの実践を展開した。教員は、〈教室〉で「物語」を創ることができる。学習者の数だけ「主役」がおり、如何なる脚本・演出で芝居を創るかということ。役者は演じる場合もあれば、観客となったり演出や小道具など縁の下の力持ちになる場合もある。こうした創造過程を通して、文学を学び各自が自らの経験を起ち上げて当事者として考えていく。「物語」や「演じる」というと日本では誤解を招きやすいが、「虚構」の中にこそ「葛藤」があり、それこそが「生きる力」を育む経験となる。
最終日は身体メディアを利用した発表。谷川俊太郎の詩を1人1篇選び、朗読を中心とする自らの身体表現と身近なメディアを融合させた「表現」を創ることが課題である。スマホ動画・スライドショーに音楽・詩のイメージに近い写真・動作や表情・詩のテーマ性を問いにして考えさせてから表現するなど、約60分間の制作時間ながら多様な「表現」が発表された。これまで「国語教室」では、あまりにも「意味」が前面に出過ぎていた、しかも誠に「教育的道徳的」な「意味」が教師によってこじ付けられてきた。「イメージ」と「韻律」も含めた総合的なものが詩の魅力を創り出している。それが「メディア」を含めて表現にすることで、少なからず現前性をもって創り出すことができる。むしろこうした創造性を課題とすることは、現在の学生たちにとって文学に深く親しむ可能性ある活動なのだと確認することができた。〈教室〉はある意味で、創造的な「ステージ」なのだ。
終了後は声優さんたちと交流会
声と表現と舞台のヒントの宝庫であった
このあたりの内容は、また宮崎での企画が実現したら紹介しよう。
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