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行きかふ空の通い路は

2017-08-24
二十四節気「処暑」
「夏と秋と行きかふ空の通い路はかたへ涼しき風や吹くらむ」
(『古今和歌集』巻三・夏歌より)

今月7日の「立秋」を過ぎた頃より、自宅や大学近辺でたくさんのトンボが飛んでいる。かなり多くが飛来しているにもかかわらず、人や車に衝突することもなく、悠然と”わが空”を飛んでいるように見える。夜になって鳴く虫の音も聊か違った”連中”が合奏を始めたようで、生きものたちは人間以上に季節に敏感なのであると感心させられる。ふと空を見上げれば、その青さに少し奥行きが出たように見える。冒頭に掲げた『古今集』歌にあるように、未だ暑さはありながらも「かたへ」では「涼しき風」が吹いていることに思いを致す感性をせめて持ちたいと思う。

「行き交ふ」といえば、ここのところ毎日のように市内へと車を走らせている。和歌文学会大会の郵便関係の手続きのため、中央郵便局へは3日連続で赴いた。窓口ではない「総務係」を呼び出しベルを押して扉を開錠してもらい、4階まで昇ることにも慣れた。その後、これも連日となるが附属校へ赴き共同研究会。小学校の物語教材で「山場」という用語を使っての指導のあり方が議論となった。「どんな物語にも”山場”がある」ということは確かであろう。だがその”山場”が定式的な図式の中で技術的に捉えることができるといった、「山場ありき」の考え方にはどうしても馴染めない。物語とは幼児が絵本を楽しむように、次の展開が「わからない」ゆえに「知りたい」という意欲が生じ、そこでページをめくる際の新たな世界との出会いによって、読む者を異世界に誘うものである。自然に対しての感性もそうであるが、何事も「人間が都合のよい技術で統御できる」と考えるのは、傲慢な人間の思い込みに過ぎない。それに起因する破綻が21世紀になって相次いでいることに、そろそろ自覚的になりたいものである。

「技術」への幻想
自然と真摯に向き合って暮らしていたい
それに気づき、それを叶えるのは、地方での生活ゆえである。
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