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免許より身体感覚・実効性・理性を

2017-08-19
車の運転は「歩行」と違わず
理性と実効性と身体感覚が重要
「免許」の持つ意味は何か?

しばらく海外に渡航していない。2000年代にはしばしば「日本語教育」や、海外での「日本文学」研究の実情を知るべくよく米国に渡った。米国は都市部以外は車社会であるため、その都度「国際免許」を取得してレンタカーで広大なキャンパスの大学を訪れていた。当時は東京在住で車を運転する必要もなかったので、米国での右車線運転にむしろ慣れてきて、帰国して道路を横断する際などに左側ばかりを注視して危険を感じることもあった。運転はまさに身体感覚によるところが大きいゆえ、経験と実効性が物を言うように思われる。そんなことを実感して1年間有効でサイズも大き過ぎる「国際免許」を取得して渡米すると、レンタカーを借りる際にしか提示することもなく、免許はあくまで「建前」であって、肝心なのは「1、身体感覚」「2、実効性」「3、理性」のように思われて来るのであった。

「理性」が3番目というのは、何も交通ルールを疎かにするという意味では決してない。海外ではむしろ「ルール」というのは「自らの身を危険から回避する方法」だと思えることもある。日本ほど細部のルールに厳格なわけではないが、「右折は信号が赤でも安全ならいつでも可」といった運転者判断に委ねられる点もある。「信号」という単なる「記号」に全面的に依存する日本の感覚からすると、最初は少々違和感があった。だが次第に、それが心地よくなって来る。ハイウェイの運転などでも、日本では考えらえないような大型トラックが往来しているが、誠に柔軟で理性的な運転をしているように思われた。肝心なのは「自らが走る」ことにおいて、明確な自己主張がありながら、車社会を楽しむ現実的な感覚で運転がなされているからであろう。もちろんNYなどの都市部に行けば、横暴な運転に遭遇して危険な思いもしたことはある。そうした緊迫さを実感した時、日本の免許センターで与えられる段ボールのような灰色の紙片に写真と割印が押された「許可証」よりも、現地での連係した3つの感覚こそが大切であることを痛感した。「ライセンス」はあくまで社会的「許可」に過ぎず、「運転」はより現場での経験と判断力が大切だということである。

よく「大学教員に免許なし」と云う
現地で現場で体験的に積み上げていく実力
「免許」とその「更新」について諸々と考えさせられる。
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