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構造的理解の重要性

2017-08-18
家具を組み立てる作業
重ねられたプリント類をどう取るか
生活の中の構造的理解

宮崎では暑い日が続く。少々早めの午後4時に大学から帰宅しようとすると、自家用車の車載温度計がなんと「39度」を示していた。人間なら平熱を通り越して、インフルエンザでも罹患したかのような体温である。帰宅してしばし待機すると、宅配さんが呼び鈴を鳴らした。「衣類ラック」が、時間指定で届くように注文しておいたのである。数年来使用してきたハンガーごと吊るせる横棒状のものが左右の均衡を崩し左に歪み、とうとう角のプラスチック部品に亀裂が入ってしまっていた。いつ「倒壊」するかと恐れていたが、なんとか新旧交代まで頑張ってくれた。”新人”は、金属製の耐久度重視の一品。早速自ら組み立て作業に入ったが、注文の折に確認すると作業員の方に組み立ててもらうと「2700円追加」とあった。この作業はそれほどの価値か、と思いながら、こうした作業は嫌いではない。

友人などに聞いた話だと、こうした家具の組み立てで部品の左右を間違えたりすることも多いと云う。要は全体の構造を視野に組み立てるか否かという、思考の問題であると毎度考える。ネジの穴の方向や種類、全体の耐久性を考えたら湾曲はこの方向であるなど、「全体」を見据えて「部分」を構築することが肝要である。部分部分で面倒臭がらずに、それを常に確かめる。幼少時に「プラモデル」で鍛えられた感覚ともいえようか。まさに、学校での図画工作や技術の課程の重要性も再認識する。日常の大学で講義をしていると、学生たちにプリント類を配布する機会も多い。その際に、敢えて「仕切り」を曖昧にしておいて取らせることがある。ただそこにあるプリントを取ればいいと安易に考える者や、始業間際に来る学生などは粗雑に一番上の「一枚」だけを取る傾向がある。すかさず授業の「マクラ」に、前述したような「構造的理解」の重要性を話すことにしている。一枚取ればその下から違うプリントが顔を出す意味は何かと・・・

日常に「考える」行動はあるか
メディアが放つ情報にも構造的理解が必要だ
疎かにされていた自動車学校の「構造(機械的)」の重要性を顧みる。
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