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豪雨にめげぬ歩み

2010-07-06
5日(月)最近、急な豪雨に見舞われる事が多い。職場で夕刻まで仕事をしていると、次第に空が西から黒い雲に覆われ、急激に激しい雨が降り出す。もう少し早めに仕事を終えられれば、雨を避けて帰れたのになどと、余計なことを考えてしまうことも多い。しかし、少し時間をおくと雨は上がり、ほぼ濡れずに帰れることも。どうやら局地的に短時間に猛烈な雨が降るという特徴があるようだ。

 帰宅してジムへ。家を出るときは、ほぼ雨は降るか降らないかという状態だった。しかし、5分ほど道を歩むと、突然の豪雨。道には傘を持っていなかった人や、自転車で帰宅する人が、さながら濡れ鼠のようになって走り去る。多くの人がスーパーの軒先などを借りて、雨宿りをしている。かくいう小生はというと、傘は持っていたが、あまりの激しい降り方に、どうしようかと思い悩む瞬間さえ訪れた。歩み続けるか、雨宿りをするか。

 ジムでは定まった時間に始まるスタジオプログラムに参加する予定。雨宿りをしていては、開始時間に遅れてしまう。身体の準備の上で、途中入場は禁止されているので、その日のプログラムに、雨のせいで出られなくなると言うわけだ。雨にやられるのは本意ではない。これは歩み続けるしかない。

 雨は激しさを増し、次第に靴が濡れる。ゴアテックス製のトレイルシューズを着用していったので、大丈夫かと思いきや、靴下に濡れを感じるようになった。それは更に靴の中までも浸透して来たように感じるようになった。このような予想だにしない困難。しかし、これで挫けてはいけない。目的に向かって歩んでいれば、晴れの日ばかりじゃない。このような状況下で、歩き切ってこそ、やるべき事が実行できるというもの。歩みを少しも緩めることなく、ジムへの道をひた歩いたのだった。

 ジムに近づくと、雨は小やみに。やはり約10分ほどの局地的豪雨だったようだ。まさしくジムへ行くという個人的な目的を急襲するかのように、雨は叩きつけた。ただ、それにもめげずに歩み続けた自分の中に、妙な充実感があった。雨に見舞われても目的を諦めない前向きさ。人生でも相性やタイミングで、厳しい状況に出くわすこともある。しかし、目標や夢があるのなら、それに向かって歩み続けるべきではないかと、今更ながら悟ったのだ。困難な状況でも歩みを止めない剛強な気持ちは、何事にも必要ではないかと思った。

 ジムに到着し、靴下がずぶ濡れ。仕方なく525円で靴下を購入。これがフィット感よく、快適であった。おかげでスタジオプログラムには十分に間に合い、これまた気持ちが解放されるような快適なトレーニングが実行できた。トレーニング後には、恒例のスチームサウナ。そこで妄想するに、何か精神にスイッチが入ったと自覚した。困難な状況に出くわしても、不退転の決意が、何より貴重であるということを悟ることによる、心のスイッチが。

 毎週の大河ドラマ「龍馬伝」を見ていると、幕末の志士たちの置かれた状況の厳しさがひしひしと伝わってくる。龍馬を始め、彼らの夢の彼方に、今の日本がある。志士たちは、いくら困難な状況に置かれても、歩みを止めることなく、開かれた日本を目指して前に進んだのだ。

 これは野球アニメ「巨人の星」の中で、描かれていて印象深い場面がある。坂本龍馬の言葉が引かれ、星一徹が息子である主人公・飛雄馬に対して「人間死ぬときは、たとえドブの中でもいい、前のめりに死にたい。」という趣旨のことを、盛んに伝えていた。夢を抱いて、それに向かい前に前に歩みを止めない生き方こそ、貴重であるということだ。

 日本で、今までにないような「スコール」とも呼べるような豪雨が降るようになった。地球が新時代に入っている証拠のようにも思う。温暖化という名の「負の新時代」に違いないが、それも我々人間が作り出してきてしまった、前向きさの結果かもしれない。ならば、過去は振り返ることなく、今、現在をどうするか。どのようにまた進むのか、できることをすればいいのだ。

 豪雨の中を歩む。靴下1足という代償は払えども、目標は達成した。

 こうした1夜の行動に象徴的なように、目標に向かっての不退転の歩みを続けたい。

 今という時間が、何より貴重であり、それが過去となって自分の中に蓄積されるのだから。
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