fc2ブログ

「わが世に又あひがたき今日の日の」引き継ぐということ

2017-08-16
「わが世に又あひがたき今日の日の一日も暮れぬ筆をおきて思ふ」
(佐佐木信綱『瀬の音』昭和15年)
また巡りくる夏の日に・・・・・・

72年目の終戦の日、「今日の日」を多くの人が重く受け止める日。だが最近は、広島・長崎の原爆の日などを知らない者がいたり、ましてや6月23日沖縄慰霊の日などに思いを致す人は減ったと聞く。肝心なのは一人ひとりが、「今日」の自らの命を思うこと。自らのことばに耳を傾けること。その「命」=「ことば」は、72年前の戦禍をかろうじて潜り抜けた貴重な命である。父母が、祖父祖母が、曽祖父曽祖母が、どんな思いであの戦時中を生き抜いたか。そう考えれば、自らの「命」のみならず、「ことば」もこの平和で繁栄した社会も、長い時間の中で「今」を生きてきた人々によって支えられている。歴史を考えるというのは、知識ではなくこういうことではないのだろうか。

冒頭に掲げたのは佐佐木信綱の歌で、昭和15年発刊の歌集『瀬の音』から。時局は開戦前にして暗澹たる様相となってきた頃、「又あひがたき今日の日」のことばが重く響く。「筆」は「仕事」や日々従事していることの象徴と読めるだろうか、ふと眼前の仕事から離れて自らの「命」を思うというわけである。こうして小欄に文章を書き連ねていると、ちょうど東の空に新しい日が昇っているのが見える。又「今日」が始まり、「一日も暮れぬ」となる。昭和26年の信綱歌集『山と水と』には次のような歌も見える。

「あき風の焦土が原に立ちておもふ敗れし国はかなしかりけり」

我々が「夏」と刻んでいるこの日は、立秋後にて暦の上では「あき」。又季節も巡るのである。

「春ここに生るる朝の日をうけて山河草木みな光あり」
(『山と水と』より)

明治・大正・昭和を生きた佐佐木信綱の歌から学ぶ。
関連記事
スポンサーサイト



tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/2839-f774b602

<< topページへこのページの先頭へ >>