台風通過と〈息つぎ〉ー『作歌の現場』「句切れの重要さ」から
2017-08-07
「強い台風」とTVニュースの喧伝相変わらず近所で蝉が鳴き続けている
水・食料などを備え家に籠るだけの〈私〉の無力さ
今もまた近所では、蝉の大合唱が聞こえる。台風5号が奄美大島方面から「人が歩くほどの速度」で九州南部に接近し、日向灘を北上しつつ宮崎をかすめていくようなルートで通過して行った。一昨日から「万全の備え」と思い、食料を調達し風呂に水を溜め込み家の外回りにある物は屋内に収容し、雨戸をすべて閉め切って部屋の中に籠もる状況が続く休日であった。そんな中で気になったのが「蝉の声」である。人間が「台風」を恐れているのを尻目に、平気で日常通りに鳴き続けている。蝉にとっての「一生」のうちで地上で”鳴ける”時間は限定的なのであろう。「台風」などに左右されず毅然と我が道を行く姿と、鳴き果てればむなしく地上に転がる姿の対照に、「生命」とは何かを考える〈モチーフ〉が起動するのである。それにしても、家の中だけに籠るというのは楽ではない。次第に精神が鬱屈してくるような自覚。東京の母からの心配した電話にも次第に無愛想な返答になってしまい、蝉にも及ばぬ矮小ぶりを自己の精神に見出す。
だが、蝉ばりの「大合唱」ができなかったわけでもない。ここ2日間ほど小欄に覚書のように記しているのは、『作歌の現場』(佐佐木幸綱著)から多くを学んだゆえである。時間を忘れ時に無心に時に興奮し、その書に記された「肉声」を読み取るがごとく夢中になって読んだ。蝉のように外へ向かって「声」を上げるわけではないが、自己の内なる核心に佐佐木幸綱の〈肉声〉が独唱として語り掛け響いたのであった。ここで〈肉声〉という語彙を使用するのは、他でもない、同書第Ⅱ部第3章「句切れの重要さ」にある「肉声の復権」に触発さたれたゆえである。「近代短歌を超克する方法として前衛短歌に多大な恩恵を受けながら、知への傾斜、メカニックな構造指向に反発して、肉体や生理感覚の開拓を言い」という主張である。これは「作歌の現場では、まずモチーフ、そしてモチーフと不即不離のかたちで〈句切れ〉の意識(句切れなしの場合もむろん含む)が始動する。」という歌の「発想」の問題と関連している。いわば「発想の段階で、モチーフと呼吸がどうぴんと張った緊張関係を持ちうるかの問題」なのであり、「一首のモチーフに呼吸を感じたとき、読者はそこに〈肉声〉を聞くのだ。」と同書の主張は、明解かつ毅然としている。
台風に物怖もせず蝉の鳴きおり
家に籠りつつも「知」の独唱を聴くことができる
時に大きな〈息つぎ〉が求められるのであろう。
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