協働する声・協働で養う力ー高校でこそ表現学習を
2017-08-04
「あなたは自分の声を知っていますか?」実は誰よりもそれを知らないのかも・・・
ゆえに他者とともに協働する声を出してみよう
今年度になって3回目となる高鍋高校探求コース訪問、今回は夏合宿中の授業にお邪魔した。今回はゼミの4年生を帯同し「詩の群読」に取り組むことで、「よむ」ことへの自覚を高めようという狙いであった。「よむ」という行為は、決して自己完結するものではない。従来の「詩の授業」を考えてみても、教科書の「活字」を一方的に受信しようとするのみで、自ら表現することは少なかったゆえ、定式的で技術的な「よみ」にしか至らず、「詩」を自ら「よみたい」という意欲には至らない場合が多かった。振り返るならば、今回参加してくれたゼミ生たちも、大学に来て僕の企画する「群読」に参加して初めて、「詩を読む」自覚と魅力に覚醒したのだとあらためて考えた。「表現」することで「理解」は促進され、「理解」することで「表現」次元が昇華するというわけである。高校生ともなると、特にこの「表現」学習に対して怠慢にならざるを得ない環境が、いずこの高校でも見られる。それゆえの協働活動の実施である。
概ね上記のような趣旨を高校生に簡潔に話した後、ゼミ生の「詩の群読」を披露。「どんな点に工夫があったか?」や「どんな言葉が印象に残ったか?」を、班ごとに対話してホワイトボードに書き出す。「群読」という「方法(やり方)」を、理論的には「説明」しない。「群読」は「群読」を享受することでしか、その意欲は起動しないと考えるゆえである。その後、詩の「一行目」をゼミ生が読んで、「インスピレーション」を感じた詩に出会ったら、班ごとに自らが群読を創る詩に立候補する。さながら「イントロクイズ」式の「詩の選択」方法である。担当する詩が決まると、30分間で班内活動。まずはどのように4人(3人)の声を配当するかなど、群読の基本構想を机上で考える。15分が経過したら、その成果を実際に「声」にしてみる。「活字」に閉じ込めていたのではわからなかった詩の力と、自分たちの声を出逢わせる。敢えて30分間という限定した時間設定にすることによって、「理解」から「表現」に至る緊張感が生まれる。その後、各班ごとに発表となり、お互いの詩の理解を十分に他者に表現する機会となった。
あらためてゼミ生の群読力に納得
教師とは常にこの「理解」と「表現」作用を自ら実践すべき
「受験」という矮小な学力観から大きく探求し羽ばたいてほしいものである。
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