はっ!とさせられる歌

2017-08-03
「恋の時きみのうしろにあはあはと死にいたる刻きざむ打楽器」
(塚本邦雄『透明文法』より)
読んで「はっ!」とさせられる歌

「恋は盲目」などが典型的であるが、「恋」に関する警句や成句は多い。歌の1300年の歴史を遡り、万葉の類別「相聞」にしても古今集の部立「恋」にしても、人は必ず「恋」の心情を「歌」に詠んできたわけである。一方で「四季」に代表される「自然」について、とりわけ「天象」や「花鳥風月」への心情も歌に詠まれ、人の興味がこの二大テーマとなっているのがわかる。奇しくも、朝の情報番組などで「天気予報」に続いて「星占い」を報じているのは、何も「軽薄」なわけでもなさそうである。もちろん、近代社会であるゆえに節度のある「恋」が求められるのは言うまでもないが、人は「恋」の感情あってこそ「生きる」力も湧いてくるように思われる。

だが、その「節度」を過剰に意識した「学校」空間では、あまり鮮烈な「恋歌」は教材にならない。たとえ与謝野晶子の歌があったとしても、「授業内容」が「鮮烈」までには至らないのが実情ではないだろうか。そんなことを考えながら塚本邦雄の歌集を読んでいると、時折「はっ!」と覚醒させられる歌に出逢う。表現を換えるならば、「チクリ!」と刺されたような歌である。冒頭に掲げた歌も「恋の時」という何ら変哲もない初句ではあるが、「きみのうしろに」「あはあはと」と上句を読み続けると、妙な期待感に襲われるのは僕だけであろうか。下句となって「死にいたる刻」とされると、もう針を向けられたような感覚となるが、結句で「きざむ打楽器」と収められると、その「痛さ」が「はっ!」に落ち着く不思議な感覚を味わった。「恋」とはやはり「生きる」ことそのものなのかもしれない。

「乳房その他に溺れてわれら在る夜をすなはち立ちてねむれり馬は」
(塚本邦雄『水銀伝説』より)
スケールも大きく人類全体への警句でもあろう。
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