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朧月夜も「訛り」て降るか

2017-08-01
「月光の訛りて降るとわれいへど誰も誰も信じてくれぬ」
(伊藤一彦『青の風土記』より)
空を仰ぐこころの余裕を・・・

7月も最終日を迎えて、ようやく落ち着いた気分になって来た。公開講座・授業研究・研究学会例会・対談・落語会など出張が続いたこともあり、落ち着いて自然を眺める時間もなかった。それでも救われていると思うのは、様々な短歌を通した出逢いである。特に、島内景二さんとの出逢いは今後の僕にとって、大変重要な意味を持つと予見できる。騒然とした仕事や雑然とした言葉が氾濫する中において、日々において短歌について考えられるようになった。〆切間際に藻搔いて創るのではなく、日々の揺れを捉えてことばにしており、また日々その推敲案などを考えている。まだまだとは思いながらも「(歌を)寝かせておく」こともできるようになったように思う。ある意味で、これは料理にも通じる感覚で、自分が美味しいと思っても他者が美味しいと思わなければ、成功とは言えないものだ。

そんな七月尽、旧暦六月九日の月が朧であった。何となくその朧月が僕に話し掛けてくれるような感覚を持った。すると冒頭に記した伊藤一彦さんの短歌を思い出した。「月光」はどの土地でも同じように見えるという発想が表現されることが多い中にあって、「月光の訛りて降れると」の初二句の捉え方には、こころの芯を揺すぶられる思いがする。「誰も誰も信じてくれぬ」は、多くの人がそこまで繊細な眼差しで月光を見上げていないということへの批判でもある。自然に、そして風土に真に向き合うということは、こうした視点を持つことであろう。どんな喧騒の中にあっても、「われいへど」という確固たる創作の立ち位置があまりにも男前である。我々はともすると言葉に向き合っている”つもり”であったり、自然と向き合っている”ふり”をしているに過ぎないのではないか。雑然とした渦中に呑み込まれることなく、「われいへど」と言える立ち位置を持ちたいものである。

この暑さは自然なのか、それとも人為なのか?
手も入れられぬ自宅の庭を見て何を思う
歌に誠心誠意向き合う夏にしようと決意新たに・・・
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