親子と師弟とそれぞれの
2017-07-26
親の中に発見する自己親身で親和的な師弟関係
いずれにしても話せる間柄でありたい
世間一般でも多いことのように思うが、どうも母親と電話などで話していると苛立ってしまう場合がある。いけないこととは知りながら、ついついそんな状態に陥ることがある。家電品や携帯にWebの扱い方などを説明しなければならない場合などが契機になる。自分はわかっていても、なかなか母親はわからないのであるから、丁寧に説明すればいいものを、電話という声だけのコミニュケーションツールで、こうした説明をするのは、よほど緻密に段階を追って喋る根気が必要だ。こうした契機から苛立ちモードになると、次第に母親の性格・行動の中に自分自身のそれを発見することがある。とりわけ「自分自身としては直そうと思っている部分」であったりすると、なおさら苛立ちが倍増してしまう。心理学的に「親を乗り越える」ことで一人前になるといった考え方があるが、たぶんこれまでの人生で自分自身を改善しようと思った部分を、まさに「性癖」として親のDNAの中に発見すると、その「自分自身」に苛立ってしまう構図がそこにある気がする。
教員採用試験一次も終了し前期末でもあるので、夏のスタミナ焼肉ゼミ会を開いた。(土用丑の日であったが)現4年生とは入学時から指導教員であったこともあり、例年以上に親和的関係にある。自分が大学生だった頃を考えてみれば、指導教授と自由に何でも話せる関係になるには時間を要したように思う。研究室のみならず、こうした会の中で話す機会こそが、その親和性を養う時間である。また卒論テーマの論議のみならず、様々な体験を通してゼミ生が人間的に成長する過程が大切だと実感している。小中高校の様々な現場での機会に連れ出すこと、社会人の方々とともに様々なイベントに参加すること、そこで短歌をはじめとする貴重な世界に生で触れることで、若い力は伸びていく契機を掴む。これは同時に僕自身も、こうした機会に参加することを重視して、様々な人々との交流を大切にすることに他ならない。ゼミ生の姿にどこか自分を発見し、そこに誤りを含めて考え方の傾向を見る。いずれにしても、建前で覆い隠すことのない親身で親和的な関係を築けたらと常々考えている。
向き合う人の中に発見する自分
それこそが相手の立場でものを考える原点でもある
「親身」「親和」とは何か?あらゆる人と人との関係で考えておきたいことだ。
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