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到着ではなく旅をするために

2017-07-22
「人が旅をするのは
 到着するためではなく
 旅をするためである。」(ゲーテの言葉から)

松尾芭蕉の『おくのほそ道』冒頭に記されているように、「月日」そのものが「永遠の旅人」なのであり、実際に旅をし続ける人ならずとも、「行き交ふ年」の上で「漂泊の思ひ」を抱いて日々を過ごすものである。「人生は旅である」といった趣旨は、小欄においても何度も書き記してきた。となれば、こうした文章そのものが「旅日記」や「旅先からの手紙」ということにもなろう。いま此の地・宮崎に住むに至るも、様々な「旅」の綾が錯綜し合って、長年住みなれた故郷を離れて、物理的にも「旅」の意味合いが色濃くなったようにも思う。「此処」という必然か偶然かの流れの中で、暮らすようになる縁のある土地。出身地から離れてこそ、見えてくるものもあり聞こえてくるものもある。そして予想もしない出逢いもあって、新しい朝が来る。

現代社会では、「到着」ばかりを急ぐようにいつからなったのだろうか?高校生は、大学受験をはじめとする「進路」のために、貴重な青春時代を費やす。大学生もまた、「就職」のために貴重な体験のできる学生時代をやり過ごす。教育する側も「進路指導」「就職指導」などという看板を大々的に掲げて、「到着」への準備こそが「生きる」ことだとばかり閉塞した歩み方を助長する。こうした社会環境に対して、僕自身は中学校時代から疑問を持っていた。塾へ行くよりやりたい野球をやる。高校の時しか体験できなかったであろう器械体操もやった。「研究」をしたいとは思っていたが、20代にしか踏み込めない現職教員の仕事に夢中になって、生徒たちとともに汗をかいた。とことんやりたいことから離れれば、再びやりたい「研究」の歩みに帰ってきた。こうして振り返れば、決して「到着」するために生きてこなかったと断言できる今がある。

「到着」したら何があるのだろう?
動かざる停滞、混迷、固着、汚濁するのみ・・・
新陳代謝を活発に、今日もまた旅が始まる。
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