2800回更新のあとさき
2017-07-09
小欄更新が昨日で2800回となる来年の最初には3000回を迎える
「書いている」ことを敢えて「書いてみる」
昨日の記事を更新すると、画面に更新番号が「2800」と表示された。特段、その日が何回かなどはまったく意識はしていないが、節目の数字を見るとその実感が湧いてこないでもない。1日の記事に概ね最低でも800字程度は記しているので、「文字数」に換算すればかなりのものになる。年月にして8年目、大学学部の標準就学期間を二巡している計算になる。ちょうどブログ開設当時は、博士の学位審査を終えて審査大学の学内で承認を得た頃。「研究」に関する著述ばかりしていた意識が、より多方面へ向けた文章は書けないものかと考えたのも開設動機の一つであったと思い出す。それ以上に当時は、公私ともに新たな局面を迎えていたこともあって「心を空にして先入観なくして」自らを見つめられたらという思いが非常に高まり、空海が唐から帰朝した際に心得たとされる四字熟語を表題として文章を綴り始めた。まだ中高現職教員を続けながらの研究と二足の草鞋を履いていたが、やがて大学での教育経験を積むために2年間の非常勤講師生活を経て、宮崎に赴任して大学教員として今や「研究室ブログ」と位置付けるようになったわけである。
読者は特に個別に想定しているわけではない。初期の頃は特に「自分」に向けて書いていた、という意識が大変強かった。早朝に書いた文面を昼頃に自ら読み返すと、さらに客観的な「自分」が見え始める。そこで「自己内対話」が開始され、統一されているという幻想を排除して「多面的分裂体」であるということに気づくことができる。ある意味で「内省的日記」の役割を果たしていたのだが、同時にもちろん不特定読者への「公開日記」という要素も持っていたことになる。それには大変微妙な思いを持ちながらも、「自己存在」を文章として刻み付ける価値を見出していたことになろう。研究室ブログとしてからは、なるべく「テーマ性」を具えたものとすべく改善を図った。今や学生たちを始めとして、研究関係の方々、そして公私にわたり僕自身と関わった方々など、読者層も多様になったと思っている。特に最近では短歌関係の方々の閲覧が増えたように思う。だがしかし、開設当初から閲覧数にはまったくこだわらないのが信条である。東京から宮崎に移住したこともあって、東京在住の母が僕を心配して毎日小欄の更新を待ってくれている。こうした「一人」の読者がいれば、まずはこうして文章を綴る価値があると素朴に思っているだけである。
何のために?そしてもちろん利害にあらず
既に身体性を伴った朝の習慣として外すこともできない
このさきどこまでゆくのやら・・・・・・・・・・・・
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