今日の出逢いと目標の心得

2017-07-08
「今日は再び来らず」
城山三郎の小説にもなった標語
受験に向かう「今日」は、希望の「明日」を築く

7月6日(木)付宮崎日日新聞コラム欄「くろしお」に、こんな記事があった。二宮金次郎7代目子孫の中桐万里子さん(臨床心理学)が、子どもたちの「夢・目標」は「答え型」と「問い型」の二種類に大別できるのだと云う。例えば、前者は「教師になる」で「夢・目標」そのものがゴール、後者は「教師になって自分らしく豊かに生きるには」と問い続ける生き方であるということ。これはまさに「授業」の「発問」でも同様で、「一つの答え」に収斂する類のものでは学習者は考えを深められず、「どのように?」という「多様な問い」が個々の中に常に持続するものが求められるであろう。どちらの目標の持ち方がよいかは言うまでもないが、「問い型」を採っていれば受験なども「通過点」に過ぎないということにもなろう。同コラム欄では、郷土出身の青木宣親さんの日米通算2000本安打によって県民栄誉賞が贈呈されることを讃え、「野球選手になる」のが目標なのではなく、「どのように活躍するか?」という問いを重ねればこそ、「夢、目標は引き継がれる」とまとめている。青木さんのような例と裏腹に、「野球選手になる」で終わってしまった選手が多いことも忘れてはなるまい。

振り返りますれば僕自身も、「・・・大学に入学する」が目標であったわけではなく、その他に類を見ない環境で文学を学び、その後も好きな文学に関わって発見を続けて生きたい、という「問い」が今に至るまで持続しているゆえに、多様な歩み方をしてきたように思う。受験勉強は困難でなかったとは言わないが、楽しい時間でもあった。それは「古典」や「英文」を読んでいると、その表現の豊かさに出会えることが実に興味深かったからである。受験当時高校3年生の時、講習会に通っていた予備校の英語の著名な講師の先生が、冒頭に記した城山三郎の小説のことをよく話してくれた。その小説そのものが当該予備校を題材にしたものであり。「日々是決戦」といって「今日一日」によって「雌雄は決する」のだと説くわけである。だからといって不思議と追い込まれた感覚はなかった。「今日」どれほど豊かに新たな「ことば」に出逢えればワクワクできるか、といった感覚で「日々」を過ごしていたように思う。その延長上でまさに「いま」は、宮崎で短歌とともに歩める自分がいるのだ。

「原稿を書かねば」ではなく、どのように言いたいことを「問い続ける」か
雨雲に覆われた七夕の空を見上げ「ひととせにひとたび」逢うという「問い」を続ける
採用試験直前の学生たちへ、ぜひ「豊かな人生」を目標とし「日々」を重ねて欲しい。

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