対話する力
2009-10-22
21日(水)朝は原稿を書こうと意気込んではいたが進まず、出勤せねばならない時間になった。焦りは禁物、筆が走る時に走るがままに。仕事中に担当の顧客と個々に会話。直近のデータに基づいての現状認識を短いながらコメントする。やはり、事務的にデータを渡すだけとは大違いで、個々の表情など受け止め方にも個性がある。やはり、多くの前でまとめた話をするのには限界がある。一人一人と対話する力は尊い。
それに引き替え、社内のセクションごとの会議は空疎だ。建前や堂々めぐりのみで、議論にならぬ見せかけの議論。リーダーに個々の意見を引き出すがごとき「対話する力」はない。
会議後、即退出。帰宅途中に池袋のリブロ。来週には全面リニューアルオープンするようだが、新しい本の展示方式に、思わず予定していなかった1冊まで購入。ただ棚に置いておくだけではなく、「展示方式」という名の「意図」と、客に訴えるがごとき「対話の力」がここにも存在した。
帰宅すると、TVニュースで芸能界一の鴛鴦夫婦で知られた南田洋子さん逝去の訃報。夫の長門裕之さんが、会見を開いたのを中継していた。長門さんがいかに洋子さんを愛していたかが心の底から伝わって来た。しかし、役者として明治座の舞台公演中であった長門さんは、この日も公演に出演。洋子さんの死に目には会えなかったという。プロの役者とはかくなるものか。されど深い夫婦愛を語ることばに、自然と涙が流れた。しかし、芸能レポーターの不躾な質問には、見ていて心が痛む。長門さんを、愛する妻を失ったばかりの、悲痛な個の存在として対話しようとしていない。
夕食後にジムへ。エアロバイクと少々の腹筋。エアロバイクの画面が映し出すTV]映像の段階では、楽天は日ハムに勝っていた。帰宅すると逆転負けをしたと知る。点差からして、もったいない試合を落とした。
「私たちの私的な経験が世界をありのままに写し取ることができたとき、私たちは客観的だということになります。」
「客観性とは心の状態ではなくレトリックである。」
今日の読書からの引用である。果たして小欄の文章は、客観的にレトリックとして機能しているのか?
英語のフレーズを声に出してCDで聴いて就寝。
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