2017前期公開講座ー牧水短歌の力動を読む

2017-07-02
「雲見れば雲に木見れば木に草にあな悲しみの水の火は燃ゆ」
「相見ねば見む日をおもひ相見ては見ぬ日を憶ふさびしきこころ」
(若山牧水・第一歌集『海の声』より)

公開講座を開講して四年目となるが、今年は学内教務実習担当であることや、秋に和歌文学会大会を控えて準備に当たっていることもあって例年通りの回数ができず、期待していただいている方々には申し訳ない思いでいっぱいである。それでも初年度から継続的に受講いただいている方を拝顔すると、誠に自らの使命を再確認するようで嬉しい気持ちでいっぱいになる。制度としても前期・後期分割募集となって、会場も新設された「まちなかキャンパス」の使用が推奨されている。という事情ながら、前期唯一1回の公開講座を「まちなか」で実施した。今回は牧水短歌を声に出して読むことで、その「力動」を実感しつつ、第一歌集が『海の声』と称されている意味を再確認できればという趣旨設定とした。

牧水が青春時代を過ごし歌人として登場してくる明治30年から40年代にかけては、庶民の読書環境が大きく変化した時代である。つまり従来が「音読(音声)」を中心にした享受が為されていたのに対して、社会環境の大きな変革によって「黙読(文字)」することの方が「高度な読書法」として定着し始めたというわけである。このあたりの事情については、牧水研究会発行『牧水研究第20号』(2016年10月発刊)に「牧水の朗誦性と明治という近代」と題する評論に、先行研究資料も引用して詳述したので、そちらを参照願いたい。この日の講座には、事務局長以下、牧水研究会会員のみなさまも多く参加いただき、短歌を牧水をともに考える仲間として、大変ありがたい限りであった。こうした人と人との繋がりが、”日本のひなた”宮崎は実に温かい。

さて今回の「力動」というキーワードは、著名な評論『声の文化と文字の文化』(W・J オング著・桜井直文他訳・藤原書店・1991年)によるものである。英語では「dynamic」であり、むしろ外来語として「ダイナミック」と日本語の中で使用してしまうので、その本質が朧になっている語彙であるようにも思う。当該書に示された「声の文化」としての考え方としては、「活字に深く毒されている人々は、ことばとは、まず第一に声であり、できごとであり、それゆえに必然的に力によって生み出されるものだ、ということを忘れている。」とされている。また「テクストを『読む』ということは、音読であれ黙読であれ、そのテクストを音声にうつしかえることである。」として、「ことば」が「意味」をもつためには「声」が必然的に介在することを述べる。さらに「声の文化」の特徴として、「累加的・累積的」「人間的な生活世界への密着」「感情移入的参加的」「恒常性維持的」などが挙げられるとされている。今回はこうした特徴に当て嵌めて『海の声』所載の短歌を類別し、受講者とともに声で読みながらその内容について対話の時間を持った。歌の内容からして、牧水若き日の小枝子との恋愛に関する歌も多くなり、現在、文芸雑誌『文學界』に連載中の俵万智さん「牧水の恋」における歌の読みも時折紹介しながら、伊藤一彦さん選の岩波文庫版『若山牧水歌集』には掲載されない歌も多く、受講者の中からは、新たな発見があったという声をいただいた。

「青の海そのひびき断ち一瞬の沈黙(しじま)を守れ日の声聴かむ」
「空の日に浸みかも響く青々と海鳴るあはれ青き海鳴る」
「わが胸ゆ海のこころにわが胸に海のこころゆあはれ糸鳴る」
「わがこころ海に吸はれぬ海すひぬそのたたかひに瞳(め)は燃ゆるかな」
「悲しきか君泣け泣くをあざわらひあざわらひつつわれも泣かなむ」
「夜半の海汝はよく知るや魂一つここに生きゐて汝が声を聴く」
「悲哀(かなしみ)よいでわれを刺せ汝がままにわれ刺しも得ばいで千々に刺せ」
(公開講座引用歌の一部・『海の声』より)
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